2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧
私は上京した。 受験まで一度も東京に来たことがなかったため、全てが新鮮だった。 だが、本当は不安の方が大きかった。 自分は今までは、生活面がだらしなくても、勉強ができるということで皆にアピールすることができた。 しかし、東大生は皆勉強ができる…
今から40年前の大学入試には、センター試験やその前身の共通一次試験がない代わりに、東大だけは大学で一次試験と二次試験を設けていた。 一次試験はマーク式で、完全に足きりだったが、理科を2教科、社会を2教科受けなければならなかった。 私は社会の勉強…
私の高校3年生はもう10月に入っていた。 どの大学や学部を受験するかについて、とりあえず、私は迷ってはいなかった。 それは東大の理科Ⅰ類だった。数学や物理、工学などを勉強するところである。 私は、自分は数学や物理の才能はあるのではないだろうかと思…
私は追いつめられていた。 頭の中を占めるのは、常に、失敗して何も言えずに立ち尽くす私。 どうしよう。どうしよう。 そのことを考えるといつも頭が真っ白になるのだった。 しかし、もう体育祭の結団式が数日後に迫ってきた時に私は少し、ひらめいた。 「そ…
2年生の体育祭のスピーチで私はまた失敗した。 全く言葉が出てこなかったのである。何を話したらよいか分からなかった。 ど緊張し、その場に立ち尽し、あうあうという言葉しか出なかった。 ほとんど何も喋れずに席に帰る私を、皆は異様なものを見る目で見た…
私は当時、進路についてあまり真剣に考えていなかった。 それから、大学を卒業してどんな職業につきたいかも、私の頭の中にはなかった。 つまり、先のことは何も考えていなかったのである。 そして大学については、私が住んでいたのは西日本であり、東大とい…
前回のように私は結団式で大恥をかいたのだが、それは幸か不幸か、後後までは尾を引かなかった。 実際、体育祭の終了後にももう一度皆が集まり、クラス代表で話をする機会があったが、そのときはちゃんとできた。 体育祭での経験から、私の心の中で、これを…
実力テストで1位を取ったことで、私は皆から一目置かれるようになった。 悪い気持ちはしなかった。こそばゆくもあった。 その後、定期テストではダメだったが、 2学期になって実力テストで再び1位を取ると、私はますます注目された。 決して1学期の実力テス…
さて、高校で初めての実力テストがあった。 入学時のテストでも中間試験でも成績が悪かった私は皆からほとんど注目されていなかった。 だが、私はひそかに自信を持っていた。 試験は英数国の基本3教科で行われたが、私はこの3教科についてはトレーニングペー…
ところが、そんな私が注目を浴びたのは、勉強以外のことだった。 私は中学校時代、ある部活に入っていた。 自分ではまずまず上手で、体力さえあれば人には負けないと思っていた。 実際に、県で優勝した相手をぎりぎりまで苦しめ、また一年次下の県の優勝者に…
私は、高校に入ったら中学校のように部活をやらず、勉強に専念しようとした。 家に帰ってからの勉強時間の3時間を、トレーニングペーパーと、学校の宿題に充てた。 結構集中してやった。だがそれ以外はのんびりと本を読んだりした。 だがそうすると、宿題ま…
あまり長々と自分の半生を書き起こしていると肝心の医学部・司法試験受験のことが書けなくなり、焦点がぼけてしまう。 しかし、これらの受験に至った理由を書くのに、どうしてもこれまでの紆余曲折を書かないと片手落ちになる。 このため、ポイントとなるこ…
それからというもの、私の勉強もやや投げやりになった。 中学の最終学年も夏を過ぎ、周囲は高校受験を次第に意識し始めているのが分かった。 だが大都市ではなく、また今から40年以上も昔のことである。 たしかに高校受験はあったが、おそらく今とは様相を異…
さて、対人恐怖を克服した喜びから、私の躁の時期はしばらく続いた。 調子に乗って、当時、私が好きだった女の子に告白した。 こんなに調子がいいのだから、きっとうまくいくと思っていた。 我が世の春である。 だが、結果は、見事にふられた。 その女の子が…
考えてみると、中学3年生の、あの対人恐怖から脱出した時期、それこそ私の人生において、もっとも頭がよかった時期だったのではなかろうか。 やることが楽しくて仕方なかった。先生の話は1を聞いて10まではいないが3か4くらい理解できた。 理科の教科書を読…
私は次の日から授業中に質問をすることにした。 私にとって幸いだったのが、できない生徒と違い、自分は極めてよくできる生徒だったことだ。 だから、質問はいくらでも考えることができ、先生の答えに対してさらに疑問を呈することもできる。 ええい、ままよ…
その本を読み進めていくと、著者が不思議な夢を見たことが書かれてあった。 お父さん、お母さん、ごめんなさい。 そうして何度も何度も自分が謝っている姿である。 著者は、対人恐怖症に苦しみ、それを克服するためにいろいろな修行をした。 だがそれらはい…
そのような状態はずっと続いた。 授業中、順番に当てられる。 当てられる少し前から私の心臓は早鐘のように鳴った。 口がバクバクして声が出ないのである。 先生が、そして皆が怖くなった。 自殺も考えた。 その頃はおそらく、うつ病とも言ってよい症状にな…
それ以来、私はなぜか、授業で当てられると緊張して声が震えるようになった。 なぜか分からなかった。 皆は驚いて私を見、私が震えるのを面白がった。 (実は自分自身がそう思っているだけだったのかもしれない。) 特に困ったのが音楽の時。 一人で歌うと、…
そのような意固地な私の姿勢が、とうとう破綻をきたしだした。 勉強さえできれば、生活態度は悪くったっていい、という姿勢である。 確かに他の生徒からは表面上、一目置かれていた。 いつも試験でトップをとる人、というレッテルが貼られた。 でも、それだ…
実力テストで二番になって以来、皆の私を見る目ががらりと変わった。 そんな時、家庭訪問があった。 先生は私の親にこう言った。 「実力テストの結果をほかの先生たちと話したとき、○○君(私の名前)が2番だったと言っても、誰も信じなかった。それくらい○○…
入学した直後の実力テストが戻ってくる前、クラスの中ではその結果がどうなるか、結構話題になった。 なんせ、試験の結果が順位づけされるのである。学校全体で400人の生徒の中で。 当時は今のように中学受験がなく、大部分の者はそのような試験は受けたこと…
もう少し、私の背景を語ることを続けたい。 私の入学した中学校は1学年400人くらいのまあまあ大きな学校だった。 その中学校には、もともと私が通っていた小学校以外に周辺のいくつかの中学校から生徒が入ってきていた。 私が中学校に入学してすぐに思ったの…
6年生になった。 前回、田舎なので中学受験はない、と書いたが、1つだけ例外があった。 それは県庁所在地に位置する我が県唯一の国立大学の付属中学の受験だった。 そこは高校がなく、中学校までだったが、県内の優秀な子供たちはこぞって受験した。 私も、…
小学5年生頃になると、少数の子どもたちは学習塾に通うようになった。 といっても田舎のことである。中学受験があるわけではない。 でもなぜかその塾は評判で、頭の良い子も悪い子も、次第に行くようになった。 私の家は、両親ともに教員をやっていたため、…
漢字テストで名前を書き忘れ、零点をとった私に、先生はこう言ったのだ。 「あなたは罰として、冬休みの間、教科書に出てきた漢字を全部、10回ずつ書きなさい。」 私はげっと思った。これまで習った範囲は相当ある。当時の教科書は上下巻になっていたが、上…
このところ、このブログの題名とちがって、私の小さい頃の勉強についての話に終始しているが、引き続き。 私が小学校4年生の時のことである。 私の担任の先生は、国語の単元がひとつ終わる都度、漢字の10問テストを実施した。 学期のうちに10回行い、学期の…
私が生まれて初めて、おっ、自分も満更ではないな、と思ったのは・・・・ 小学校3年生の時だった。 私はいつもあまり試験の点数はよくなかった。勉強しないからである。 だがある時、先生がある変わったテストをした。 そのテストを見たとき、私はちょっと驚…
私は、小さい頃から人に馬鹿にされることが多かった。 親に放ったらかしにされていたからだ。 両親は共働きだった。私の面倒はだれもみない。いわゆる「鍵っ子」だった。 着るものもいい加減。いつも同じ服をよれよれとしたまま着ていた。 それから、人の話…
ううむ。書いているうちに、だんだん自分の不純な動機がわかってきた。 そうだ。私はいつも、誰かを見返してやりたいと思っているのだ。 相手は誰だろう。 会社の人たちか、家族や親戚か、高校や大学の友だちか。 う~ん。確かにそんな面もある。 会社では、…