高校へ
それからというもの、私の勉強もやや投げやりになった。
中学の最終学年も夏を過ぎ、周囲は高校受験を次第に意識し始めているのが分かった。
だが大都市ではなく、また今から40年以上も昔のことである。
たしかに高校受験はあったが、おそらく今とは様相を異にしていた。
公立高校の方が私立高校より難しく、偏差値も高かった。
その公立高校も、普通科は総合選抜方式、すなわちいくつかの学校群がグループを作って入学者の募集を行い、成績が良くても必ずしも志望校に行けず、別の学校に回されたりした。
だいたいクラスの3分の1がそうした上位の普通科の高校に行けた。だから成績のよい私はシャカリキになって勉強する必要はなかったのである。
その代わり、私はクラスのあまり勉強のできない奴らを集めて勉強を教えてやった。
自分の勉強はほとんどしなかった。
私はこうして教えてやることで、優越感を感じたかったのかもしれない。
ただそれは自分の頭の整理になった。
面白いことに、近所の子どもの親が、私に自分の子どもの家庭教師を頼みに来た。
小さい頃、その子やその親は、私を馬鹿にしていたのである。
だが、私の成績がいいというだけでこの変わりようである。
かくして私は中学校3年生にして、家庭教師をすることになった。
私はできるだけ丁寧に、遅くまでその子を教えてやった。
そうすることで私の頭はますます整理された。
だが、私はもはやあまり勉強はせず、もっと心を豊かにしたいと思った。
必死になって本を読んだ。
ただそんな大した本を読むのではなく、富島健夫とか吉田としとか、いわゆる青春小説ばかりだった。1日一冊以上読んだ。
そして、自分をそんな小説の主人公になぞらえた。
まあ、想像力だけはしこたまあったかもしれない。
なお高校については、せっか勉強ができるのだと、隣の県にあるすごく優秀な国立大学の付属高校を試しに受験してみた。
その高校からは毎年20人から30人くらい、東大に入っていた。
私は気楽な気持ちで受けた。数学はとてもよくできたような気がした。
結果として、私の中学校からは7人受験し、私だけが受かったと母から聞いた。
母は合格発表を見るためにわざわざそこまで行ったらしい。
でも、こうして親が喜んでくれるだけで私は嬉しかった。
考えるに、私は親を喜ばせるために勉強をしていたのにちがいない。
さて、受かってみたものの、私は家から遠くのその高校まで長時間かけて電車に乗って行く気はなかった。
結局、総合選抜の地区内にある、山の中の高等学校に通うことになったのである。