祖父母から信用されない

6年生になった。

 

前回、田舎なので中学受験はない、と書いたが、1つだけ例外があった。

それは県庁所在地に位置する我が県唯一の国立大学の付属中学の受験だった。

そこは高校がなく、中学校までだったが、県内の優秀な子供たちはこぞって受験した。

 

私も、受けてみようかなあと思った。

というのは、勉強をほとんどやっていないにもかかわらず、実力テストではいつもクラスで一番になっていたからだ。

ようっし、やったるぜ。

 

といって、特に特別の塾などに通うことなどはない。

やるならやってごらんと、父が全国中学入試問題集というのを買い込んできてくれた。それを片っ端から解いていったのである。

ところが、いきなり解いても、まるで分らない。

まずいことに、その問題集には詳しい解き方が載っておらず、ほとんど答えだけしかついていなかった。

一番困ったのは数学である。鶴亀算も虫食い算も知らなかった。

だから私はずっと考え、正解と合うまで粘ったのだ。

でも、そのような試行錯誤はは私にとってとても楽しいゲームだった。

ミステリーを読んで、犯人を当てていくようなことに似ている。

効率が悪いながらも、私は夢中になって解いた。

 

そんな勉強を続けてから1か月ほど経ったとき・・・・

私は両親とともに祖父母に呼ばれた。

放任主義の両親と違って、祖父母は厳格な人たちだった。

そしてこう言われた。

「おまえには付属の中学校は受けさせない。受かるわけがない。」と。

 

私は祖父母に嫌われていた。ちょっと反抗的な口の利き方をしたこともあった。

私の兄弟と違って自分たちになつかない私を、あまり快く思っていなかったのだろう。

私がクラスの実力テストで1番だと言っても、まるで信用せず、

「そんなの、たまたまだ。お前の小学校にも、お前より頭のいいものが何十人もいる。」

そう言って、私のことをけなした。

そうなると、私の両親も強くは反対できない。

そうして、私は中学受験を断念した。

がっかりしたが、一方で家から遠く離れた付属中学に行くことも不安だったため、少しほっとした気持ちもあった。

でも、祖父母が自分のことを認めてくれてなかったことの方が、もっと悲しかった。

 

結局、その年には、私の小学校から付属中学を何人も受けたが、皆、不合格だった。

そして私は地元の中学校に入学したのだ。