東大を受けようか

前回のように私は結団式で大恥をかいたのだが、それは幸か不幸か、後後までは尾を引かなかった。

実際、体育祭の終了後にももう一度皆が集まり、クラス代表で話をする機会があったが、そのときはちゃんとできた。

体育祭での経験から、私の心の中で、これを話したいという欲求が盛り上がり、それをそのまま話したのである。その時は、むしろ気持ちがいいという感覚が残った。

ただ、それができたことで、私はあがり症とその原因について真剣に向き合うことをやめてしまった。それが一つの失敗だったと思う。

 

・・・・今から思うに、私はたいへんな勘違いをしていたのである。

つまり、話す前に準備は必要ではない。当てられたらその時に話すことを考えるものだという考えに固執していたのだ。

スピーチにおいても普段の会話のようにそのままその場で話ができると考えていたのだ。

だから、その時感じたことがあればきちんと話せるし、なければ話せない。

それは非常に不安定なものである。

それでは、スピーチがうまくいくかいかないかは、賭けのようなものだ。

結局、いきなり当てられると、そんな気持ちになるのを待つ余裕がないから話せない。心の中は、あがらないか、うまく話せるか、そのことばかりが占め、話す内容自体を考えることができなくなるのだ。

回りくどい言い方になったが、要は、話す前から、話す内容を十分考えておくことが必要だったのだ。つまり、準備が必要だったのだ。

もっと言うなら、普段から、自分の立ち位置や周りのことについて、いろいろ考えておくことが必要だったのだ。

私にはそのような配慮など全くなかった。要は極めて未熟だったのだ。

 

だが、今でこそそう言えるが、当時の私はそんなことには思いも至らなかった。

ただ、学級委員として皆に号令をかけたり、積極的に授業で質問したり、司会をしたりすることには支障はなかった。だから、そのことは私の脳裏から薄れていったのである。

 

私は部活に入ったことで勉強時間は少なかったが、少なくとも実力テストではトップまたはそれ近くの成績を維持した。

私の頭に、「東大を受けようか。」という気持ちが起きてきていた。