皇室の思い出(その1) 

皇居勉強法のことを書いたついでに、皇室との思い出話を。

 

まず皇太子さん。(親しみを込めてさん付けで呼ばせてもらう。)

受験老人は皇太子さんと同じ学年である。

私が生まれた年はミッチーブームで沸き返った。

皇太子さんが生まれた後、たまたま家の近くを両陛下の車が通りすぎたことがあった。

皆、日本の旗を振ってその車を見送った。

私の父は、この時、まだ小さかった私を抱えつつ、母に「○○(私の名前)だって、いつか皇太子さまに負けないくらい立派になるぞ~。」と言ったそうである。

我が子びいきだった。

 

子供の頃、私は妙に皇太子さんのことを意識していた。

小さい頃の私は、要領が悪かったこともあり、何をやっても怒られていた。皆からいじめられ、差別を受けたりした。

一方、皇太子さんは、何をやっても皆からちやほやされる。けなされることなどない。

皇室なんて、いつもにこにこ笑っているだけで、ラクな商売だ、そう思っていた。

ようっし、勉強で見返してやる、と奮起した。いつかものすごい発明をして、立派な人間になってやる。

だが、私の能力のなさや、方向性が間違っていたからか、結局、それが芽を出すこともなく、いまだに父の予言は達成されていない。

 

でも、皇太子さんは美智子さんの教育もあって、立派に成長された。

雅子さんとの結婚の際のインタビューを見て、ああ、この人は本当にしっかりした人間なんだなあ、と心底思った。

そして、おそらく彼は、雅子さまや愛子さんの病気への対処や、さまざまな行事等も経て、ますます立派な人間になっていると思う。

それに比べ、自分は何なんだ・・・・全く成長していない。この歳になって、いまだにムキになって受験勉強に取り組んでいる。

なお、残念ながら皇太子さんと受験老人との接点は今のところない。

 

次に、秋篠宮家のこと。

私はとある国際会議の担当をしていた。その会議に秋篠宮さんが出られることになった。

このため私はその会議の概要を説明するため、部下とともに東宮御所に赴いた。

相手はもちろん殿下直接ではなく、K庁の人たちである。

ところが、説明をするため、ある建物に入ろうとすると、後ろからコニコしながら女の人がやってきた。

えっ。

 

・・・・紀子さんだった。私はあわててドアを開け、先に入るよう促した。彼女は私にはじけるような笑顔を返してくれた。

まさか紀子さんに説明するのか・・・・私はド緊張した。

だが、やはり私の勘違いだった。

紀子さんは、その建物の中に置いていた服を選んでいるようだった。あれこれ探しているようだった。(それも私の勘違いだっかもしれない。)

私はそちらが気になって仕方なかった。とにかく、光り輝いていたのである。天真爛漫な感じがした。

 

結局、その国際会議には秋篠宮さんが出席された。

嬉しかったのは、私が原案を書いた挨拶用の英文の原稿を、秋篠宮さんはほとんど修正されずお読みになったこと。

私の英語力など恥ずかしいかぎりだが、それでも採用してもらったのは嬉しかった。まあ格調や品位はなくとも、文法的には間違っていなかったのだろう。

だが、そんなことよりも、彼が到着されてから帰られるまでの間、会議全体をコーディネートをしていた私は、異様に緊張したのは言うまでもない。

やったことがある者だけが分かるが、皇室のコーディネートは、大臣等のコーディネートよりはるかに気を遣うのだ。

 

中でも、天皇・皇后両陛下のコーディネートは、この比ではない。(次回に続く。)