原理研
私はファインマンに傾倒したものの、不老不死の薬を作るという夢はあきらめたくなかった。
そこで、私はひとつ目標を立てた。
その時所属していた学科は、幅広くいろいろな学問を習得できる、いわゆる教養を身につけるための学科だった。
だが、大学院は、もっと専門的に不老不死のことを研究したい。
今の学科にずっといると、それはできない。だから大学院ではそれができる、生物系の別のところを目指そう。
そうは言いつつ、あまり本格的な生物の勉強ができたわけではなかった。
この大学の専門課程の間、いろいろな体験をした。
大きなものとしては、当時、大学の中に潜行していた原理研(統一教会)の人たちとかかわりをもつようになったことだ。
というのは、一緒に実験を行っていた相手がたまたま原理研の人で、実験ノートをもらいに彼のところを訪ねると、そこが教会だったのである。
私のことをもてなしてくれ、まあ話を聞いてくれと言われた。私は聞かざるをえなくなった。
話の内容はまずまず理解できた。(以下のような内容だったと思うが、今となってはあやふや。)
この世の中のものやことはすべて、正しいものと対立するものがある。正しいものはそれを克服することによって上位の概念に移れる。
世の中の全てはこの原理で成り立っているが、その究極のものは自由主義と共産主義の対立である。しかし自由主義は最後に共産主義に勝利し、理想の社会を実現する。
この世の中を救う救世主として、BC600年に釈迦、BC~ADの境目にキリスト、BC600年にマホメッドが現れた。こうしてほぼ600年毎に救世主が現れている。ただし1200年頃現れた救世主は世の中に現れる前に死んでしまった。今の救世主は文鮮明先生だ。
このような思想だったが、しかし心酔するというほどではなかった。
実は私の父方も母方も、ある宗教の教会をやっており、私はその宗教の信者だった。
だから、信じる宗教は1つでいいと考えていたのだ。
それを正直に話すと、彼らは私を説得にかかった。
まだ十分自分たちの宗教のすばらしさを理解してもらっていないようなので、もっと体験してもらいたい。合宿があるのでそれに参加しないかと。
そして、私はその合宿に参加した。
今考えるとよく参加したものだと思う。だが当時の私は、実は生きるとは何か、なぜ生きるか、等、人生のことについていろいろ思い悩んでいたのだ。
後で人に話すと、よくその時に洗脳されなかったなあと口々に言われたが、私は不思議なことに洗脳されなかった。
まあ、原理研の思想は、世の中でいろいろ言われているほど、それほど悪い宗教でもないような気がする。ただ、共産党との対立を謳っているため、当時東大で権勢を誇っていた(今でも?)民政からは激しく糾弾されていたが。
実際の信者は、人のよさそうな人たちが多かった。ただ傾倒するあまり、自分の財産を教団に捧げたり、他人をしつこく勧誘したりするのは問題だと思った。しかし、まあ合宿もそれほど強制的ではなく、やはり自分の目で見て確かめることが大切だと思った。
結局、私は原理研には染まらず、そこから離れて行った。
しかし、他学科受験という、そうでなくても無謀なことをして、私は大学院の試験に落ちてしまった。
まあおそらく、鼻にも引っかからなかったのだろう。
しかしショックだった。試験と名がつくもので、落ちたのはこれがほぼ初めてのことだった。
どこにも就職する気はなく、必然的に私は留年ということになった。