自分自身への挑戦

これまで何度か、私が医学部や司法試験を目指す理由を書いてきた。

だが、実は、これらのさまざまな理由よりも、底に流れている、ある感情がある。

それは・・・・自分自身への挑戦であり、ロマンを求める気持ちである。

 

私の年代は、マンガとともに育った人も多い。私もそうである。

私の好きだったマンガはあるパターンがあった。

とてつもない才能を持つ主人公が、貧しく要領も悪いため、差別され、不当に扱われる。

しかしあるとき、その才能が発揮されるような出来事が起こり、周囲は主人公の能力に気づき、あっけにとられる。

そして、お金持ちで恵まれているライバルに対峙し、最後にはライバルを打ちのめすのである。

これは、古くから、巨人の星あしたのジョー空手バカ一代(いずれも梶原一騎作品!)、エースをねらえ、さすらいの太陽、ガラスの仮面等に共通するパターンだ。

(もっともガラスの仮面だけはどうなるか分からないが・・・・美内先生、再開を願ってますぞ!)

 

まっ、これまでブログに書いてきたが、私自身、馬鹿にされた子供時代を送ってきたあと、テストの点がよかったことで周囲を少し驚かせた経験があったので、なおさら主人公に自分をなぞらえたい気持ちがあった。

しかし、結局、不完全燃焼のまま就職をし、のんべんだらりと行政をし、35年近くが経ってしまった。

 

結局、私はそんな主人公たちにのようにはなれなかったのだ。

私は、要するに、単に「テストができるだけの人」だったのかもしれない。

しかし、それなら、それを徹底的に突きつめてみるのもよいかもしれぬ。

 

それは、自分自身の能力への挑戦である。

医学部受験と司法試験受験を同時に、一年間で合格するなぞ、誰もやろうとしないだろう。(司法試験は予備試験があるので2年かかるが。)

だからこそ、やりがいがある。自分がまだ、何か壁に挑戦して、それを乗り越えられる力があるかを確かめたいのである。

 

だから・・・・先のことはどうでもいい。落ちれば、守衛でも掃除でも、工場でもコンビニのバイトでも何でもやる。(もっとも私には務まらないかもしれないが。)

そんなことに同時挑戦して何になるの、アホじゃないか・・・・と思われる方も多いだろう。だが、私はやってみたいのだ。

 

いい例えが見つかった。TBSで定期的にやっている「SASUKE」に挑戦するようなものである。

SASUKEの挑戦者たちも、壁があるからそれに挑戦するのだ。最後のゴールを目指して、自宅にセットまで作り、毎日鍛え、努力しているのである。

昔だったら、「そこに山があるから登る」と言ったヒラリー卿の如くだろう。

 

まっ、本当は、合格かゴールではなく、始まりであるということはよく自覚しなければならないのだ。だが、今はどうしても、そこが一つのゴールだと考えてしまう。
当然ながら、自分がやることが人を喜ばせ、人のために役立つことわ考えねばならない。だがまず大前提として、自分自身がそれをやってみたいかどうなのである。
でないと何でも長続きはしない・・・・いつも私が繰り返していることである。

 

目を閉じると、新・巨人の星の「甦れ〜飛雄馬〜」の曲が浮かんでくる。

・・・・自分は本当に単純で楽天的な人間なのである。少なくとも今だけは楽しい。
こうしてブログで自分自身の気持ちを確かめることも楽しさに拍車をかけている・・・。