皇室の思い出(その2)
さて、前回、皇室のコーディネートは大変だという話をした。中でも特に、最高級に大変なのが天皇・皇后両陛下である。
仮に大臣が任期中、突然亡くなったとしても、当面、総理大臣がその代用を務めるか、新大臣を指名すればよい。
また、最悪、内閣総理大臣が亡くなっても、選挙するとかで新たな総理大臣を決めればよい。(大平内閣、小渕内閣等の例もある。)むしろ、総理になりたい政治家は山ほどいる。
だが、天皇・皇后両陛下(特に天皇陛下)には代替がきかない。突然亡くなられたら一大事である。年号が変わってしまい、お世継ぎがなければ天皇制度そのものが崩壊してしまう。
私は天皇皇后両陛下が御出席される国際会議を一度だけ担当したことがある。その時も全体コーディネート役だった。(考えるに、あの頃はすごい仕事をしていた。)
当然ながら、周囲はすごい気を遣う。とにかく、粗相のないようにと。
だが、実際には、御夫妻は、そのように気を遣われるのをすごく嫌われる。周囲の人々と何でも同じにしてもらいたいというのが、唯一の御主張といっても過言でない。
そして、皇室関係を所管するK庁の職員も、十分その御意向をくんで指示を与える。
私の担当した国際会議でもいくつか、そうしたことがあった。
御夫妻の移動される導線上、来賓用の小型のエレベーターを使うと両夫妻とお付きの人達を2回に分けて運ばねばならず、面倒な個所があった。一方、荷物運搬用の大きなエレベーターを使うと1回で運べる。だがそのエレベータはとても人を乗せるようなものではなかった。
しかし、K庁の担当者は、即座に、その方がいいと判断した。御夫妻はけっしてそんなことにこだわる人たちではなく、むしろスムーズにいくならその方がいいと、きっとおっしゃるだろうと。
また、パーティの場ではいくつかのテーブルを用意して立食形式で懇談することになっていた。その時、御夫妻のテーブルだけはよく分かるように色を付けておくことになっていた。すると、K庁の担当者は即座に、それはやめてもらいたいと言った。御夫妻はそんなふうに他と区別されるのを最も嫌われると。
極めつけは、両夫妻の控室にお茶を運ぶ際の対応だった。大会関係者の娘が運ぶことになっていたが、その人が妙に気を回す。「陛下用に、○○式のやり方で、最高級の○○というお茶を○○という最高のお盆に乗せて出す。娘には着物でこんな格好をさせる。」と誇らしげに言う。
すると、K庁の担当者は、「そんなもの、特別なことは何もする必要はない。パーティで出されるお茶を普通に出してくれたらよい。娘さんも普通の格好をさせればよい。」と言い放った。
その人はなおも、「そんな失礼なものを両陛下に出すなんて・・・・」とうじうじしつつ退席した。K庁の担当者は「あの人はなんか勘違いしているんじゃないか。」と苦々しげにつぶやいた。
こういうことである。K庁御用達とか、高貴なことに憧れて、自ら格を求め、偉ぶったりする人は多いが、実際の天皇皇后両陛下は爪の先っぽほどもそんなことは思われていない。
ちょっと金がたまったり地位が上がったりすると、やれ高級マンションだ、やれ高級外車だ、やれ三ツ星レストランだ、やれファーストクラスだと、外見で差別化を図ろうとする人間が多いのは事実だ。
だが、そういう人たちは、外見で差別化をはかることで自分に自信を持ちたいだけなのである。本当に自信がある人たちはそんなことはしないのだろう。私はそう思う。
(まあ受験老人の場合、そもそもそうしたくてもできないのだが。)
話が少々それてしまった。天皇皇后両夫妻のことは、もっと書きたいこともあるのだが、ここでは話せないことも多い。すばらしい御夫妻だということだけお話して、終わりにさせてもらう。
皇室の思い出(その1)
皇居勉強法のことを書いたついでに、皇室との思い出話を。
まず皇太子さん。(親しみを込めてさん付けで呼ばせてもらう。)
受験老人は皇太子さんと同じ学年である。
私が生まれた年はミッチーブームで沸き返った。
皇太子さんが生まれた後、たまたま家の近くを両陛下の車が通りすぎたことがあった。
皆、日本の旗を振ってその車を見送った。
私の父は、この時、まだ小さかった私を抱えつつ、母に「○○(私の名前)だって、いつか皇太子さまに負けないくらい立派になるぞ~。」と言ったそうである。
我が子びいきだった。
子供の頃、私は妙に皇太子さんのことを意識していた。
小さい頃の私は、要領が悪かったこともあり、何をやっても怒られていた。皆からいじめられ、差別を受けたりした。
一方、皇太子さんは、何をやっても皆からちやほやされる。けなされることなどない。
皇室なんて、いつもにこにこ笑っているだけで、ラクな商売だ、そう思っていた。
ようっし、勉強で見返してやる、と奮起した。いつかものすごい発明をして、立派な人間になってやる。
だが、私の能力のなさや、方向性が間違っていたからか、結局、それが芽を出すこともなく、いまだに父の予言は達成されていない。
でも、皇太子さんは美智子さんの教育もあって、立派に成長された。
雅子さんとの結婚の際のインタビューを見て、ああ、この人は本当にしっかりした人間なんだなあ、と心底思った。
そして、おそらく彼は、雅子さまや愛子さんの病気への対処や、さまざまな行事等も経て、ますます立派な人間になっていると思う。
それに比べ、自分は何なんだ・・・・全く成長していない。この歳になって、いまだにムキになって受験勉強に取り組んでいる。
なお、残念ながら皇太子さんと受験老人との接点は今のところない。
次に、秋篠宮家のこと。
私はとある国際会議の担当をしていた。その会議に秋篠宮さんが出られることになった。
このため私はその会議の概要を説明するため、部下とともに東宮御所に赴いた。
相手はもちろん殿下直接ではなく、K庁の人たちである。
ところが、説明をするため、ある建物に入ろうとすると、後ろからコニコしながら女の人がやってきた。
えっ。
・・・・紀子さんだった。私はあわててドアを開け、先に入るよう促した。彼女は私にはじけるような笑顔を返してくれた。
まさか紀子さんに説明するのか・・・・私はド緊張した。
だが、やはり私の勘違いだった。
紀子さんは、その建物の中に置いていた服を選んでいるようだった。あれこれ探しているようだった。(それも私の勘違いだっかもしれない。)
私はそちらが気になって仕方なかった。とにかく、光り輝いていたのである。天真爛漫な感じがした。
結局、その国際会議には秋篠宮さんが出席された。
嬉しかったのは、私が原案を書いた挨拶用の英文の原稿を、秋篠宮さんはほとんど修正されずお読みになったこと。
私の英語力など恥ずかしいかぎりだが、それでも採用してもらったのは嬉しかった。まあ格調や品位はなくとも、文法的には間違っていなかったのだろう。
だが、そんなことよりも、彼が到着されてから帰られるまでの間、会議全体をコーディネートをしていた私は、異様に緊張したのは言うまでもない。
やったことがある者だけが分かるが、皇室のコーディネートは、大臣等のコーディネートよりはるかに気を遣うのだ。
中でも、天皇・皇后両陛下のコーディネートは、この比ではない。(次回に続く。)
皇居勉強法(その2)
さて、前回の続きである。皇居勉強ウオーキングに出た私は、皇居一周5キロのコースをずんずん歩いて行った。
(そういえば、古文単語のゴロに、「ずんず読む」というのがあった。「ずんず」の訳=「読む」。まさにそれを実践している。)
皇居前の広場を通り、まっすぐな一本道。右側はビル群が連なるが、皇居外苑となる左側はステキな眺めである。
大手門のあたりで1科目目が終わった。「商法」を読んだのだが、いつもよりなぜかすごく理解ができた。
時々、本道から中道に入るところが出てくると、すかさずそこに回り込んだ。
1科目目が終わり、2科目目に突入。刑事訴訟法だ。これは読みやすいので難なく読める。
竹橋の地下鉄の駅を通り過ぎると道は上り坂になる。道は狭くなる。しかし私は読みつづけた。
上り坂が終わると、一気に視界が開けた。そこは横道に入ると、公園のようになっている。
ベンチがあるので腰かけ、2科目目を終わらせた。
隣に秋田犬を連れた人がいた。携帯のコマーシャルに出てくる「お父さん」や、ザギトワの「マサル」のようにかわいい。
なんでも、イヌの大会に出し、賞を狙っているとのこと。
さて、私はその後、再び勉強ウォーキング開始。3科目目に突入した。今度は刑法。問題をやるので難物。
だが、歩いているとあまり文字を追えない分、じっくりと頭で咀嚼する時間が持てる。
ずっと下り坂が続いた。やっとスタート地点の桜田門着。それから仕事場に戻るまでに3科目目を終わらせた。
約1時間半。普段休み休みする3科目の勉強よりは理解できた感じだ。
そして、それから血圧を計って驚いた。普段は100前後の血圧が85になっていた。一石二鳥だっ♪♪
・・・・私はこの皇居勉強法、今後も続けることを固く決意した。
p.s.その後・・・・
私はそれまで知らなかったのだが、ある日皇居ウォーキングをしていて、大手門のところから皇居の東御苑に入れることが分かった。
すごい綺麗な遊歩道が張り巡らされ、ジョッガーもいない。まさに「皇居勉強法」には最適の場所だと知った。
これなら受験老人は6科目くらい終わらせることができる・・・・。
皇居勉強法(その1)
11月になり、風もずいぶん涼しくなってきた。
実は受験老人、結構仕事も忙しい。このため土日もたいてい職場に出てきている。ワーカホリック気味である。
だが、基本的に研究っぽい仕事であるので自分のペースで進めていける。
普段、勉強をするため平日は無理やり7時くらいで仕事を切り上げている。そのツケを週末でカバーしているのだ。
ただ、休日手当をもらっているわけでもないので、その分、職場で自由にゆったり過ごせる。
そして、ある時思いついた。皇居の周りを歩こうと。
皇居は、昔、大学院時代、研究をしていたがんの研究所が近くにあったため、仲間を集めてここでよくジョギングをした。
1周約5キロ。大勢の人が走っている中で、自分を鍛えるべく走っていた。だいたい私の記録は20分余りで、どうしても20分を切れなかったのを覚えている。
その皇居は、私の職場からも歩いてすぐのところにある。こりゃ、絶好のウォーキング場所だ。
さて、私が「ウォーキング」というと、何を指しているか、読者の皆さんならよくお分かりだろう。
そう、「二宮金治郎式勉強法」である。(以前、「金次郎」と書いたが、正確には「治」が正しいそうだ。)
11月初めのある週末、午前中を職場で過ごした私は、日がまだ高い午後2時頃、いくつかの本をカバンに入れ、運動靴をはき、さっそうと職場を出た。そして、カバンから1科目目を取り出した。
皇居に着くまでに、1科目目の半分を終わらせた。
桜田門に着いた。ここはジョッガーたちの起点である。昔は私もその中のベンチに荷物を置いてジョギングを開始していた。
だが今日はそんなことをしない。そのままカバンを背負って歩き読みだ。
道は反時計回りにジョギングしている人が大半であり、そのままゆっくり歩き読みを開始した。
後ろからどんどんジョガーたちが私を追い抜いていく。だが、端っこを歩いているうちは問題ない。彼らは私をよけてくれる。
ただ、注意しなければならないのは、歩行者が前からやって来る場合があること。
なので時々前方にも目を光らせねばならない。しかしこれは数も少なく、普段の歩き勉強法よりはるかに注意は少なくてよい。
最も気になっていたのは、ところどころに警官が立っていること。
歩きながら本を読むのは歩きスマホと同じなので。やめるように厳しく注意されたらそれまでだ。
だが、そうはならなかった。
なぜか・・・それは、私の他にも、道端でパンフレットを確認している人が結構いたからだ。それと同じだと思われたのだ。
まあ、私のように勉強をしながら歩いている人はおそらく他にはいないだろうが・・・・。
(ちょっと長くなるので次回。)
10分間勉強法!
11月になって、私の勉強はフル稼働し始めた。
(医学部受験)
・古文 板野ゴロゴ古文読解(1章ずつ読む)
・漢文 板野ゴロゴ漢文、一問一答(2pずつ読む)
・地理 村瀬地理、瀬川センター試験地理(センター試験過去問をやり関連部分を読む)
・数学 数学(ⅠA、ⅡB、Ⅲ)(カード式勉強)
・化学 大宮(理論、無機、有機)、センター試験が面白いほどよくわかる(カード式勉強)
・物理 漆原(力学、波動、電磁気)(カード式勉強)
(司法試験予備試験)
・刑法 公務員試験用問題集(郷原で復習)
・商法 柴田(1単元ずつ読む)
・民事訴訟法 伊藤(1単元ずつ読む)
・刑事訴訟法 伊藤(1単元ずつ読む)
結構しんどい。当初は30分ずつやっていたが、次第に進まなくなってきた。
これら13科目を全部30分ずつやると1日6.5時間かかる格好である。
がんばって朝早くからやろうと、めちゃくちゃ早く起きた(4時頃)。
そして少し休憩を入れ、5科目すませた。
通勤の行きには1科目、昼食時に1科目、通勤帰りには3科目をやった。
そして家に帰ってから3科目やった。
(通勤の行きに少ないのは新聞を読むため)
・・・・しかし、これは最も効率的に進んだ時の勉強時間だった。
当然、仕事で残業が入ったり、また逆に早くから行かないといけない時もあった。
すると科目数が減少した。半分も終わらない日も出てきた。
人間の性だろうか、1回、まあいいやと思ってやるのをやめる科目ができると、癖になってしまう。
そして、その科目はしばらく御無沙汰してしまう。そうなるとその科目だけ大きく遅れるのだ。
何とかならないか?
そして、私が編み出したのは「10分間勉強法」。
すなわち、各科目、どんなに忙しくても、必ず毎日やることにするのだ。
10分でも、1pは読むことができる。逆に、10分しかないと思えば、いきおい集中できる。
そうして、その10分で、1問だけ問題を解くとかしておけば、次の日も続けていける。
遅々としているが、ストップするよりは、そうして少しずつでも前に、前に進むという気持ちを維持していけばいい。
さすれば、慣性の法則によりなんとか続けていけた。最低、10×13=130分すなわち1日2時間余りの勉強でも、まあよしというところか。
私はフィギュアスケートの金メダリスト♪♪
今回のグランプリシリーズでの羽生選手はまた一段と凄みを増した。
ショートでの最高点、そしてケガをして臨んだフリーでも、ぶっつけ本番でプログラムを変えたにもかかわらず、そつなくこなして圧倒的に勝利した。
よくぞ、この世の中にフィギュアスケートという種目ができ、またその申し子のような羽生選手が、宿命ともいうべき競技をまだ小さい頃に見出すことができたと、その奇跡的な出会いに賛辞を送りたい。
さて、フィギュアスケートが話題になると、いつも思い出すことがある。
今から10年以上前、私が欧州のある国の国際機関で働いていた時の話だ。
家族を連れて同地に赴任していた私は、当初、家を借りたり、子供を学校に入れたり、車を買ったり、銀行口座を開設したりと、いろいろな手続きに大わらわだった。
そんな手続きの1つに、保険への加入があった。
まず健康保険。国民皆保険の日本では、勤めていれば保険料が給料から自動的に引き落とされる。しかし当地では自分で何かの保険に加入しなければ高い医療費を払わされてしまう。
だが何とかそれは、そこの職員皆が加入している特別の保険に入ることで片が付いた。
次にやったのが自動車保険への加入。これは同国際機関に出入りしている保険業者が何社かあるようなので、そのうち1社からから話を聞くことにした。
担当してくれたのは、中年の女の人だった。
彼女は保険の説明を大雑把にしてくれた。
でも、ちょっと高いなあと思った。まあ健康保険料も当地では高かったので(家族の分を含めて7〜8万円もした)、自動車保険も高いのかなあと漠然と思った。
私がちょっとためらっている素振りを見せると、その人は私に言った。
「貴方は日本から来たのか。私は日本にかつて行ったことがある。30年ほど前のことだが。」
私はてっきり、その女の人が、日本への旅行の話をし始めるのかと思った。
30年前というと1970年代だ。その頃にかの国から日本旅行をするなど、この保険屋さんはきっと家が裕福だったにちがいないと思った。
すると、彼女はなぜか感慨深げに、遠くを見るような目をするのだ。
「日本、ああ日本。日本の人たちは皆優しかった。私はオリンピックに行ったのよ。」
へっ、オリンピック・・・・そういえば、当時、札幌オリンピックが開催されていた。日の丸飛行隊がジャンプで金銀銅を独占したのをぼんやり覚えている。
「へえ、そうですか。オリンピックを見に行かれたのですか。よかったですね。」と私が言うと、女の人は首を左右に振った。
「いや違う、私は選手としてオリンピックに出場したんだ。」
私はちょっと驚いた。そういやあ、中年になっているとはいえ、この人は、やけに筋肉がしっかりついていて体格がいい。
そうか、オーストリアはスキーなど、冬のスポーツが盛んだ。きっとそれで選ばれてオリンピックに出たんだろう。
そう思いつつ、私は何の競技か尋ねた。しかし彼女の返事を聞いて、私は自分の耳を疑った。
「フィギュアスケートだ。金メダルを取った。」
・・・・私は思い出した。1972年に開催された札幌オリンピックで女子のフィギュアが日本人に大人気を博したのを。
妖精のように可愛いらしい米国のジャネット・リン選手が可憐なジャンプと舞を見せ、日本中の人が彼女を我が恋人のように見守ったのを。
その時、ジャネット・リン選手は銅メダルだった。だが確か、金メダルを取ったのはごつごつした選手だった・・・・。
まさにその人が私の目の前にいるのだ。荒川選手や羽生選手がいきなり自分のところに保険の勧誘にやって来たことを想像してみたらよいだろう。
彼女は、一応その国のフィギュアスケート協会の役員をしているとのこと。しかし、それだけでは収入が少なく、保険の仕事もして生計を立てていると。
現在、フィギュアスケートは、ロシア、日本、アメリカ、カナダ等に優秀な選手が集中している。
欧州はと言うと、フェルナンデス選手やコストナー選手等、目ぼしい選手が何人かいるだけだ(私の知識不足かもしれないが)。
平昌オリンピックも欧州時間に合うように配慮されたスキー競技と異なり、フィギュアは先方の深夜に当たる午前中から行われていた。
そう、それほど欧州ではフィギュアは人気がないのだ。同国のような小国ではなおさら・・・・。
だから、保険の外交員で食いつないでいかねばならない。
フィギュアスケートをやるには馬鹿にならないようなお金がかかる。衣装代、レッスン代、海外遠征の旅費・・・・
でも、日本のフィギュア選手は、幸せだと思う。ものすごく注目され、グランプリシリーズも毎回放映されるようになった。
そしてたとえメダルを獲得できずに引退したとしても、マスメディアから引っ張りだこだ。
まっそれは一部の上位選手に限られはするが、それでも、保険外交員で生計を立てているフィギュアの金メダリストというのは、今の日本では想像できない。
思うに、人の価値観は絶対ではない。たとえどんなにすごい選手がいても、そもそもその競技自体が注目されていなければ関心は集まらない。
人によって価値観が違うように、人の集団である国でも価値観が違う。民族によっても違う。
フィギュアスケートに関心のない国では、日本の熱狂ぶりが分からないだろう。
そもそもフィギュアスケートであれ、カーリングであれ、そうした競技の存在自体が絶対的でなく、たまたま何らかの形で生まれ、そしてたまたまその才能を持つ選手が活躍できたということだろうから。
(まっ羽生選手の場合はあの集中力と才能があれば何をやっても成功しそうな気がするが。)
その女の人は、私が保険に入ろうかどうかなおも迷っていると、私に顔を近づけてこう言った。
「人間は決めるときは思い切りが肝心だよ。ガッツできめるんだ。」
金メダリストの迫力に負け、私はその保険加入を余儀なくされたのだった。
10月の終わりの状況(その2)
さて、10月の終わりの司法試験予備試験の勉強の状況であるが・・・驚くほど進んでいなかった。
9月の終わりの段階では、刑法と憲法の2科目については、最初取り組んでいた本を読み終えていた。だが、理解は圧倒的に不足していた。
だから、それぞれ、インターネットの無料講座を聴いたり、公務員試験用の問題をしたりして、順次、ソフトランディングを図ろうとしていた。
だが、それは実は、あまり進まなかった。やるべき科目数が多すぎるからだった。
10月初めの段階で、憲法、行政法、民法、刑法、民事訴訟法の5科目をやっていた。
だがあと2科目(商法、刑事訴訟法)はまだ開始していなかった。
しかし、どうしても、10月中にはこれら残り科目も開始したかった。
そのため、手っ取り早く終わらせることができそうな、ページ数の少ない民事訴訟法をちょっと余分に読み進めた。
(実は読んでいてもほとんど覚えることができなかったが。)
そして、10月の末には民事訴訟法を読み終えた。
その後は、商法と刑事訴訟法も始めることにした。
参考書は、相変わらず、ブックオフで仕入れたもの(200円)にした。
・商法:柴田のS式生講義 商法(柴田孝之)
・民事訴訟法:ファーストトラックシリーズ 刑事訴訟法(伊藤真)
これらが特に優れていたから買ったというわけではない。単に、ブックオフには刑事訴訟法、民事訴訟法、商法の参考書が置いていなかったというだけの話だ。
まっ、しかし、この2つの本、特に刑事訴訟法の本はひどく分かりやすいと感じた。
そして読み始めたのだ。
とうとう司法試験の勉強科目数は7科目になった。しかし、いくら1科目30分だとと言っても、7科目やると3時間半になる。
それだけならともかく、まだ私は他に医学部の受験勉強をしなければならない。しかも医学部用の勉強科目も増えている。
勉強時間が何時間あっても足りない・・・・真剣に悩み始はじめた。