10月の終わりの状況(その1)
10月になり、センター試験の願書を提出した後も、引き続き勉強を続けた。
日に日に涼しくなり、だんだん過ごしやすくなってきた。ただし、勉強の調子がぐっと上がるかというと、そうでもなかった。
若い人の場合、急に視野が拓け、理解が進み、成績がぐっと伸びるということはあるかもしれない。
私の場合もそうだった。大学院の浪人をしていた時、当初はまったくダメで、東大理ⅠすらE判定だった。
だが、何度か模試を受けているうちに、頭の働きがすごくよくなるのを感じた。そして最後は理Ⅲで2回続けてA判定が取れた。
ところが・・・・今はそのような才能のきらめきなど、ひとかけらも感じない。
相変わらずなのである。8月始め頃に数学も化学も物理もパラパラ方式にしていたが、10月始めの段階ではやっと1通り終わったところだった。物理は途中で問題をなくすというミスを犯したため、まだほとんど回っていないなかった。
4~7月で1通りは読んでいたので通算ではこれで2回通り目になるが、その段階でも分からないものはまるで分っていなかった。まるきり初めての問題のように感じていた。
若い頃だったら2回やればほとんど理解できていたものを、今では2回読んでも、初めての問題のように感じてしまう。
ただ、答えを見ずに解くことができた問題は束の中から抜いて袋に入れていった。
その数は数枚と少ないものの、毎日それを繰り返していると、だんだんできた問題の山が増え、できない問題の山が減っていくのが分かった。ちょっと嬉しかった。
10月末では、だいたいパラパラとしては2回目、通算で3回目を終えた。すると、数学も化学も、まだできていない束は当初の半分ほどになった。そうなるとますますやりやすくなった。
ただし、物理はやっと1回目が終わった。
地理は、毎日センター試験の過去問を1問か2問ずつやり、村瀬の参考書で関連したところを読んでいくというやり方が功を奏した。
同じ単元が問題に使われるところも次第にちらほら出てきた。このため村瀬の参考書も通算で4度目くらい読んだところも出てきた。
すると、否応なしにポイントのところは頭に入ってくる。もしかしたら、地理だけはまあまあよい成績が取れるのではないかと思えてきた。
10月末には、今の状態で6割くらいは取れるのではないかという気がした。1度もセンターの模試はやっていなかったが。だが、まだまだ医学部合格には及ばない。
古文は、単語を毎日覚えていた。ぷっと吹き出しつつゴロを覚えた。
ある時駅で電車を待ちながら単語めくりをやっていて、手を滑らせて地面一面にカードをまき散らしてしまった。
時間帯が悪かった。そこには高校生たちも電車を待っていた。
私がせわしげに拾い集めるのを見て、皆にやにやしながらひそひそ話をしているのが分かった。
「何このおっさん、なんで板野のゴロゴなんてやってんの??きもっ!」
たぶんそんなところだろう。でも私はめげない。
通勤での歩きを利用して覚えたせいか、リズミカルに覚えることができ、この古文単語は10月中に終わらせることができた。
古文は続けて板野の「古文読解ゴロゴ」というのをやることにした。
徒然草、枕草子、源氏物語等1つ1つ、読み解きながら、単語や文法のポイントを解説してくれる。
特に、単語は「古文単語のゴロゴ」をそのまま使って解説していて復習にもなり、1日に1単元20分くらいで終わらせることができるのはちょうどよかった。
漢文は、2つの参考書を問題を解きつつ進めていた。まあこれらも何となくセンターまでには終わらせられそうな気がしてきた。
そうして、医学部受験については、まあまあ、なんとか受ける資格ぐらいはできるかなあということを、10月終わりの時点では感じていた。
ただし・・・・問題なのは司法試験の予備試験だった。(以下次回)
いつか不老不死になれる?
今日、家を出がけにテレビを見ていると、外国で顔面移植をした少女の話がニュースになっていた。
ちらりと見ただけだったので正確ではないが、だいたい以下のような話。
その少女は思い悩むことがあり、自殺を図ろうとして自分の顔を正面からピストルで撃った。
(あいにく?)弾は脳に達さず、その少女の命は助かった。
その代わり、その少女の顔の真ん中には大穴が開いた。鼻はなくなり、顔全体が陥没した。もとは可愛い顔をしていたのに、顔面崩壊で人間とは思えぬ容貌になった。
少女は再び生きようと決意したが、こんな顔では人前に出られない。人間には見えないのである。彼女も、またそれ以上に彼女の両親も思い悩んだ。
そして、両親は娘に顔面の移植手術をしてもらうことを希望した。つまり、臓器移植と同様に、死んだ人(脳死でなくてもよい?)から顔面そのものを譲り受けるのである。
何人かドナー候補がいたが、3番目のドナーがうまく適合した。
大がかりな手術チームが組まれた。そして長時間の手術の後、少女は再び、人間らしい顔を取り戻した。
・・・・こんな話である。出勤前だったのでじっくり見られなかったのが残念ではあるが。
需要が多いからか、美容整形の進歩はすごい。どんな部分でも、自在に作りかえることができるようになりつつある。
最大手であるTクリニックの院長など、私は学生時代(今から30年以上前)から知っているが、その頃よりも若返っている感じだ。
そして、韓国などは特にそうだが、日本でもプチ整形をして、それを当たり前のように公表する人も増えてきた。普通の医療になっている。(言い過ぎか?)
医学はどんどん発達している。将来的には、他人の顔を借りなくても、自分自身の顔を元通りに作りなおすことも可能になるに違いない。
最近、山中先生の樹立したiPS細胞は、実用化を目指す段階に移行している。ただその用い方としては、疾病に関するものが中心になっている。当然だろう。
だが将来的に、整形外科や形成外科の分野での需要は大きいかもしれない。損なわれたものを自分自身の細胞を用いて元通りにするのである。
美容整形の世界では、自分の好みの顔のパーツ等を、自分の細胞を用いて作り、元のパーツと入れ替えるのが当たり前になるかもしれない。
鼻や耳などを人工的に細胞を分裂させて一から作り上げるのは難しい。(以下、少し専門的な話になるが御容赦を。)
一層の細胞として、またはかたまった細胞として、または食道のような単純な構造はできるかもしれない。だが臓器や器官はとても複雑である。
最近は幹細胞を用いてオルガノイドと呼ばれる、器官の機能を持つ小型の細胞の塊を作る研究も盛んだが、実際にはそれを形のある大きな臓器や器官に作り上げるのは難しい。
私がかつて見たのはSTAP細胞の小保方さんの留学先のバカンティ教授の研究室で作られた、ヒトの耳を背中に背負ったマウスだった。異様な格好をしていた。
ただ、それは単に外部でヒトの耳の形に作った金型に軟骨細胞を撒いて、それをマウスの背中に移植したもので、耳としての機能を持つものではなかった。、
本物の耳や鼻を作り上げるには、一番の近道としては、いわゆる「動物工場」を利用するしかない。
動物工場とは、特定の臓器を作る遺伝子が欠けた動物の胚(このためその胚から子供は生まれない)に、ヒトのES細胞又はiPS細胞(その特定の遺伝子は健全)を移植する。
それによって、欠けた動物の胚の機能をヒトのES細胞やiPS細胞が補って発生・分化を続け、そうして生まれた動物は、その臓器だけがヒトの臓器に置き換わっているのである。
これなら、耳なら耳、鼻なら鼻の遺伝子が欠けたブタの胚を使って、ヒトの耳や鼻を作ればよい。
だがそんな特定の臓器や器官のみで働き、それが欠ければ生まれてこないような都合のよい遺伝子をそれぞれの臓器・器官毎に見つけるのは大変だ。
実際に現在見つかっているのは膵臓の遺伝子しかない(と思う)。
私は知らなかったが、東大と京大の合同研究チームはもっと実用に近いことをした。
彼らはまず、iPS細胞から軟骨細胞を作った。そして、その軟骨細胞を、人間の耳の形になるように形成したチューブ(体内で溶けるもの)に入れた。それをマウスの皮下に移植したのだ。
すると、移植されたチューブはマウスの体の中でゆっくりと溶け出す。そして、注入されていた軟骨細胞だけが残り、それらは融合する。
そうして、2カ月ほどでほぼ実物大の「耳介軟骨」ができあがったそうだ。先のバカンティマウスより移植に一歩も二歩も近づいたと言ってよいだろう。
一方、英国のロンドン大学では最近、患者自身の腕で「鼻」を作ることにも成功したらしい。新しく作られた鼻は匂いもわかるようになったとのこと。(真相は不明。)
このように、科学はどんどん進歩している。
ただ、残念ながら現在は限界がある。
先に話したTクリニックの院長も、あんなに若く元気そうに見えて、樹木希林と同じように体中をがんに侵されているそうである。
彼は自分自身を実験台にして、いろいろな治療法を試してやると息巻いている。そういうポジティブな生き方は羨ましい。
しかし将来は、iPS細胞による器官・組織移植により、ダメになった組織を次々に置換していくことで不老不死が実現する時代が来るかもしれない。
交換不可能だと考えられていた脳すらも、神経細胞を少しずつ移植することにより、基本人格を変えずに交換してしまうことも可能かもしれない。
まさに、美容整形のように。気に入らないなら交換していく。全てのパーツを。
将来、そうした時代になったとき、全員が死を運命づけられていた今の時代を、忌むべき原始時代だと感じるか、
それとも永遠に生きることの疲労感やもののあはれへの羨望から、自ら死を選ぶようになるか、
私にはわからない。
我々は死と隣り合わせに生きている
さて、前回のメルマガで、血圧が高くて死にそうだ(上170、下130)、という話をしたのだが、今回はその続きを。
節制生活を始めた。
毎日昼は、これまでのバイキングまがいの大食をやめ、納豆(タレをつけない)、もずく、わかめ、ヨーグルト、そして無塩野菜ジュースに代えた。
常識を超える量を食べていたスイーツ類も(やや)控えた。
血管が破裂して人間をやめねばならなくなることを考えれば、お安い御用。
夜は、健康志向の妻の手料理の後、せめてもの贅沢として、アイスクリームをほおばった。まあこれくらいの楽しみがなければ生きていけない。
そんな生活を続け、1週間くらい経った頃、健康管理のため定期的にしている血液検査を受けた。
医師は、これまでの私の検査記録(もう5年以上やっている)をパソコンで見つつ、ちょっと驚いた顔をした。
「何か特別なことをされたのですか。」
結果を見て驚いた。何と、コレステロールが激減しているではないか♪♪
いつもは悪玉コレステロールや中性脂肪が並外れて高く、薬を飲んでいても正常値を軽くオーバーしていたのに、今回は、全てが正常範囲に入っている。
これまで何度も検査を受けたが、こんな値は見たことがなかった。
たった1週間節制しただけで・・・・何という効果だ。納豆か、もずくか、ヨーグルトか、それともお菓子を控えたせいか・・・・
・・・・しかし、その後も相変わらず血圧は高いままだった。
看護師さんから血圧手帳をもらい、毎日つけ続ける。でも、下がらない。
ある日珍しく、下の値が100近くまで下がったと思って安心すると、次の朝は軽く120を超えている。その繰り返し。
死刑執行人が来るのはいつになるかと、ちょっとノイローゼになった。
そんな時、かつて職場で一緒だった医師からこんなコメントがあった。
「・・・・手首での血圧はあくまでも簡易的な方法ですから、ちゃんと血圧を腕で左右ともに測ってもらいましょう。
職場の医務室とかでも血圧は測れるとおもいますし、今時ですと、公民館や区役所なんかにも血圧計は置いていますよ。・・・・」
そういえば、手首につけただけで簡単に血圧を測れるので、簡易型のものを愛用していた。よし、ものは試しに、別のやつで計ってやろう。
そして、父から貰った別の血圧計を使用した結果・・・・ややっ
上130、下90・・・・なんだ、ほぼ正常値ではないかっ!!
いやあ、お騒がせしてしまった。結局は機器の不調ということで。
御心配いただいた方、たいへん申し訳ないm(__)m。そのうちオオカミ少年になってしまう。
すっかり気をよくして、翌週からの出張で、朝のバイキングを初めとして、失った楽しみを取り返すべく、暴飲暴食をしてしまった。
その結果、また少し血圧が上がった。
そしてその後も、ちょっと油断すると下は100〜110になる。今日(11月12日深夜)測ったところ、105だった。
でも、今回の節制の習慣で、気づいたことがあった。
今までバイキングを太鼓腹になるまで食べていたのが、腹八分目で十分だと思うようになった。
醤油をドバドバつけた濃い味付けの料理を好んでいたのが、薄味で素材を生かした料理の方が美味しいと思えるようになった。
お菓子をストレスと眠気解消に食べ続けていたが、あまり食べなくても集中力が続くようになった。
ようっし、せめて昼だけでもこの節制習慣をある程度の割合で続けてやろう。
それが金銭的にも節約になり、退職後もあまりカネのかからぬ生活が送れる。
老後は必然的に節約しなければならないと思うが、それが健康維持にもつながれば一石二鳥だっ。
以下、教訓。
・我が身だけはずっと健康でいられるという思い込みは間違い。
・疾病の予防こそ最大の健康の秘訣だが、その大切さに真に気づくのは健康を失ってから。
・喉元過ぎれば熱さを忘れるだけでなく、食べる前も熱さに気づかぬ。熱さを思うのは喉元にある間のみ。
・他人の痛みに気づかない者は自分のことにも無頓着。自分のことも思いやれぬ者は他の痛みも思いやれぬ(かも)。
ヒトは皆、いつも死と隣り合わせに生きている。誰もが明日死んでもおかしくない。
そのことだけは自覚し、毎日毎日を充実して生きよう。私の場合は死ぬまで貪欲に新しい知識を求め続け、限界に挑戦する。そうして今は結構充実している。
実は受験老人はいつ死んでもおかしくない身体なのだ
血圧132・・・・。
これって、高いと思うだろうか?
まあ、少し高めだが、正常の範囲内だと思う人たちが多いだろう。
しかし、これは私の下の血圧である。上の方は170以上ある。
ある時人から血圧計をもらったのだが、ずっと家でほこりをかぶっていた。
数か月前、何かのついでに取り出して計ってみたところ、こんな値を記録した。
そして、気になってネットで高血圧について調べてみた。
すると、以下のような記載が・・・・
「下の値は、85以上で正常高血圧になる。90以上で軽症高血圧、100以上で中等症高血圧、そして110以上で重症高血圧。」
132って、それよりはるかに上じゃねえか。
・・・・すごく心配になった。
そして、翌日、また測った。昨日の値は何かの間違いに違いないと。
げええっ・・・・何と「135」になっていた。
ひたすら不安になり、さらにネットで調べた。すると、相談コーナーに、
「38歳だが血圧が上は200、下が130あります。やばいですか。」という質問が掲載されていた。
識者からの回答では、「血管がブチブチ切れ、脳出血や心筋梗塞のリスクが高く、腎不全になり、40歳まで持たない可能性大」とのコメントが。
・・・・青くなった。私の場合、すぐに死ぬと言われているのと同じ。
私はコレステロール値が高く、300以上あったこともあった。それを何とか薬で抑えている。
その代わり、血圧は大丈夫だろうと、思いっきり醤油やドレッシングで濃い味付けをしていた。
バイキングが大好きで、バカバカ、味の濃いものを選んで食べている。そのせいか、体重もここ1年で4キロほど増えている。肥満体だ。
とみに、最近、勉強のストレスもあり、自宅ではむしゃむしゃお菓子を食べている。
しかし、今にも血管が切れる寸前とは。いつ切れるかと思うと生きた心地がしない。
不安からくるストレスが血圧上昇に拍車をかけるかと思うとさらに不安になる。負のスパイラルだ。
星飛雄馬の左腕ではないが、いつブチッという音が聞こえるか。その途端に自分は死ぬ(大げさか??)。
ひやひやしながら生きている。西城秀樹のようになりたくないっ!(彼が亡くなったのは悲しいが。)
そして、私が考えたこと。とにかく節制生活をしようっ!
次の日からの昼食。
スーパーで納豆、もずく、ヨーグルト、そして無塩野菜ジュース(これらを選んだのは特に理由はない。最低限の栄養)を買い込む。
それを職場に持ち込み、冷蔵庫をほぼ独占。
昼食時には冷蔵庫から取り出し、わかめを水で戻し、もずくと混ぜる。
(わかめを戻す時に部屋の外の水道を使うため、女性職員らが不思議そうに私を見るのがひどく気になるが、背に腹は代えられない。)
納豆はかき混ぜ、添付のからしと醤油を少しだけかけて、海藻類の中に入れる。
そしてぐちゃぐちゃにかき混ぜ、食べる。
そしてヨーグルトは砂糖無添加のものを食べる。・・・・まるで修行僧のようだ。
のんびりリッチな昼食をするのが職場での唯一の楽しみである私にとっては、拷問のようなものだった。
さてこの努力の結果はいかに。続きは次回。
恥ずかしい出願
さて、10月になると、いよいよセンター試験の出願が始まった。
出願のための資料は、9月に学会があった時、ある大学で入手していた。守衛さんのところでもらえたのだ。
さて、それからいざ出願しようとして、大変なことに気づいた。
・・・・高校の卒業証明書が必要だというのである。
今の今まで気づかなかった。間抜けにもほどがある。何やってんだ。
とにかく卒業証明書は必要だ。そのためには出身高校に連絡して、それを入手しなければならない。
私は出身高校のホームページを見た。しゃれた作りのページになっていた。そして、手続きについて書いていないか、探した。
ぞうっとした。
こうした証明書を交付する場合、本人が高校まで直接取りに来ないとダメだというのである。
私が今住んでいるのは関東地方。私の出身高校は西日本にある。しかもど田舎でここから行くと相当時間がかかるしカネもかかる。
どうやら連絡のためのメールもないようで、直接電話するしかない。
やむなく電話した。
電話は回され、担当者につながった。
「あのう、そちらの高校の卒業生の者ですが、卒業証明書を発行してもらいたいと思いまして。」
「ええ、いいですよ。こちらに来られますか。」
「いやあ、今、関東地方にいるのでそちらにはなかなか行けません。できれば郵送等で対処していただくようお願いしたいのですが。」
すると相手が言葉に詰まった。
「ええ。通常はお越しいただくことになっているのですが、そんなに離れていたら仕方ありませんね。本人が分かる証明書と一緒に送っていただければ。大学受験か何かですか?」
今度は私が言葉に詰まる番だった。やべえっ、こんな年で大学を受けるだなんて、恥ずかしくて言えねえっ。
「いやあ〜、もう退職なんですが、再就職の際に必要になりまして・・・・」私は電話口で訳のわからないことをもぐもぐ言った。
相手は納得しかねるようだったが、私の卒業した年次を聞いて驚いたようだった。でも何とか保管されていることが分かり、送ってもらえることになった。
なお、後で知ったことだが、実際に大学を受ける際には、今度は通常の受験生は成績証明書が必要になってくる。
ただし私のように卒業して何十年も経っている者は、成績証明書は不要だ。もう高校で保管されていないだろうし、当時の成績を知ったところであまり意味がないというのがその理由だろう。
実際に私の出身高校でも、成績証明書は卒業後5年まで、単位取得証明書は卒業後20年までしか保管されていない。私のように卒業後40年近くたった者はそもそも想定外なわけだ。
その後何日かして、高校から届いた卒業証明書を入れたセンター試験申請書を持って私は郵便局に行った。
私がそれを提出しようとしたところ、係りの人が、「お子さんのですか?頑張ってくださいね。」と笑顔で私に語りかけた。
・・・・私は大きく頷いたのだった。
(まあ、こんなにこそこそしているところは、後ろめたく思っている証拠かも。自分なりに、やりたいと思ってやっていることで、恥ずかしくはないのだ。もっと堂々とありたいものだ。)
自己責任
何年か前のことである。日本人のジャーナリストが海外でテロリストに拉致され、殺されるという事件が起こった。
私がそのころやっていたメルマガで「危険なところにあえて自分で行ったのだから、自己責任だよね。」と何気なく書いたところ、ある知り合いから猛烈な反発を受けた。
その人は、マスコミの人でも、人道主義の人でもなかった。
・・・・なんと、その人は、殺されたジャーナリストの親戚だったのだ。
まあ、そんな人もいることに思い至らなかった私も迂闊だったが、自己責任に対する考えは今でも変わっていない。
やっぱり、自己責任というのは、当たり前だと思うのだ。
日本政府は危険な国や地域には絶対行かないよう勧告している。
それを聞かずに破って行ったからには、それなりの覚悟があってのことだろう。
だから、行った方が悪いのは当然。
もっとも、第三国から危険地帯に入国すれば止められないし、罰も受けないかもしれないが。
そうした行為が、ジャーナリスズム精神のもとに許されるとしたら、どうなのだろう。
マスメディアはそのような行為は勇敢だとして称えることも多い。だが、メディアは、そうしたフリージャーナリストから情報をもらえるから、彼らを無下には扱えないだけかもしれない。
(なんか、ベンチャーが開発した新薬を買い受けて販売している製薬企業に似ているような気がする。リスクはベンチャーにまかせて、利益が出そうになったら救い上げるというやり方だ。)
今回は、他の国が膨大な身代金を支払ったため、安田さんは無事に解放された。
日本政府は、交渉に当たっては身代金は一切払わず、それ以外の方法で粘り強く交渉していくという道をとった。これが日本のやり方のようだ。
・・・・当然だろう。もし日本政府が多額の身代金を払うことが知れ渡ったら、今後、それ目当てで日本人を狙った誘拐事件が多発することになる。
それでも、今回も日本政府は交渉の過程で、連絡等で結構な出費をしたと思う。担当の人たちも大わらわだっただろう。
そうした労力や費用は、いったいだれが負担することになるのか・・・・国民である。
確かに安田順平さんの体験
話は、皆聞きたがるだろう。貴重な情報であるに違いない。
でも国民はそのような情報を得るために、お金を出すことに賛成するだろうか??
今後もジャーナリズム精神とやらで、危険地帯に飛び込むジャーナリストも出てくるだろう。むしろ今回のことでそうした人々が増えそうな予感もする。
じゃあ、どうすればよいだろうか。
安田さんは、今後そのことで講演したり、本を書いたりすれば、相当なお金が入ってくるにちがいない。
私としては、その収入の中から、少しでも、今回の救出にかかった費用を支払ってもらいたいと思うのだ。
それが(本人が意図するか否かにかかわらず)関係者に迷惑をかけたことへの償いではないか。
または、もしメディアが、ジャーナリスト精神を称賛する姿勢をとり続けるならば、
メディアがお金を出しあってそうした身代金をプールし、いざとなればその中から支払うようにしてもよいかも。
北朝鮮への拉致被害者のように、自らの意思に反して拉致された人たちとはわけが違う。そのようなかわいそうな人たちにはいくらでも支援の手を差しのべねばならない。
だが、今回のことは危険な登山や嵐の中での釣りと同じだ。あらかじめ死ぬ覚悟をしてやり始めたからには、自己責任というのは至極当然の話だと思うのだが。
まっ安田さんの話を聞けば、本人も自己責任は大いに自覚していたようである。さすが死の淵をかいくぐってきただけあって、しっかりした話し方だったことに感心した。
むしろ、しきりにジャーナリズム精神を持ち出し、擁護しようとしていたマスメディアや評論家のことが気になった。
あんたたち、ジャーナリズムってそんなに偉いのかと。
もちろん、現在の受験老人の無謀な挑戦・・・・これは「自己責任」である。
ダメだった時の覚悟は・・・・はなからないのだが。
なんでこんなに英会話ができないの??(その4)
こうして、海外には何年もいたにもかかわらず、結局私は英語は上達しなかった。
日本に戻って来て、英検準一級の試験を受けた。
すると、筆記試験はなんなく通ったが、面接試験で見事に落ちてしまった。案の定。
しかし、とにかく受からないと面目がたたない。面接の内容は4コマ漫画を見て、それを英語で説明するというものだった。
私はとにかくあらゆる英検の問題集を買い込んだり、4コマ漫画を見ては、その説明を英語でする練習を繰り返した。
そして、やっと2回目で面接に合格できた。まっ、お情けで通してもらえたのだろう。それにしても情けない。
今回、受験をしようということで、3月にセンター試験の英語を解いてみたが、筆記試験はまずまずできたと思ったものの、いくつか間違えていた。
しかし、リスニングは酷かった。5問くらい間違えたのである。
ああ、情けなや。これが大学留学をして、国際機関で働いた受験老人の実態である。
なんでこんなに英語を勉強しているのに、効率が悪いのだろう・・・・。
英会話が苦手なのには、思い当たることもある。要するに、日本語でも人の話をきちんと聞くのが苦手なのである。
それは小さい頃からの私の欠点だった。
授業中も先生の話を聞こうとせず、いつも自分がやりたいことをしていた。
だから、小学校の時にあった、国語のリスニングのテストでは、いつもひどい点を取った。
もしかしたら、人の話をじっくり聞く習慣がついている人は、英語も得意になるかもしれない。
女性に英語が得意な人が多いのはそのせいか。いや、最近は女性も自己主張が激しくなってきたから人の話を聞く習慣がつかなきくなっているか??(冗談です。)
そして、もうこの歳になると、英会話での成長はほとんど期待できないだろう。
欧米人に聞こえて日本人には聞こえない音があるという。
それは絶対音感のように、小さい時から身につけないといけないものなのだろう。それこそシャワーのように英語を聴くことによって。
(現に、生まれてすぐの小さい頃、海外で1年間過ごした上の子供はリスニング力はネイティブ並みだ。)
さらに、年をとると、モスキート音のように、若者に聞こえる音が聞こえなくなってくる。
・・・・絶望的だ。
まっ、こんなわけなので、今後ますますリスニング力が重視される大学入試には私は通用しなくなる。今回がラストチャンスだと考えるゆえんだ。
そんな受験老人は、英語だけは全く準備せずに試験に臨もうとしている・・・・