恥ずかしい出願

さて、10月になると、いよいよセンター試験の出願が始まった。

出願のための資料は、9月に学会があった時、ある大学で入手していた。守衛さんのところでもらえたのだ。

さて、それからいざ出願しようとして、大変なことに気づいた。

・・・・高校の卒業証明書が必要だというのである。

今の今まで気づかなかった。間抜けにもほどがある。何やってんだ。

 

とにかく卒業証明書は必要だ。そのためには出身高校に連絡して、それを入手しなければならない。

私は出身高校のホームページを見た。しゃれた作りのページになっていた。そして、手続きについて書いていないか、探した。

ぞうっとした。

こうした証明書を交付する場合、本人が高校まで直接取りに来ないとダメだというのである。

私が今住んでいるのは関東地方。私の出身高校は西日本にある。しかもど田舎でここから行くと相当時間がかかるしカネもかかる。

 

どうやら連絡のためのメールもないようで、直接電話するしかない。

やむなく電話した。

電話は回され、担当者につながった。

「あのう、そちらの高校の卒業生の者ですが、卒業証明書を発行してもらいたいと思いまして。」

「ええ、いいですよ。こちらに来られますか。」

「いやあ、今、関東地方にいるのでそちらにはなかなか行けません。できれば郵送等で対処していただくようお願いしたいのですが。」

 

すると相手が言葉に詰まった。

「ええ。通常はお越しいただくことになっているのですが、そんなに離れていたら仕方ありませんね。本人が分かる証明書と一緒に送っていただければ。大学受験か何かですか?」

 

今度は私が言葉に詰まる番だった。やべえっ、こんな年で大学を受けるだなんて、恥ずかしくて言えねえっ。

「いやあ〜、もう退職なんですが、再就職の際に必要になりまして・・・・」私は電話口で訳のわからないことをもぐもぐ言った。

相手は納得しかねるようだったが、私の卒業した年次を聞いて驚いたようだった。でも何とか保管されていることが分かり、送ってもらえることになった。

 

なお、後で知ったことだが、実際に大学を受ける際には、今度は通常の受験生は成績証明書が必要になってくる。

ただし私のように卒業して何十年も経っている者は、成績証明書は不要だ。もう高校で保管されていないだろうし、当時の成績を知ったところであまり意味がないというのがその理由だろう。

実際に私の出身高校でも、成績証明書は卒業後5年まで、単位取得証明書は卒業後20年までしか保管されていない。私のように卒業後40年近くたった者はそもそも想定外なわけだ。

 

その後何日かして、高校から届いた卒業証明書を入れたセンター試験申請書を持って私は郵便局に行った。

私がそれを提出しようとしたところ、係りの人が、「お子さんのですか?頑張ってくださいね。」と笑顔で私に語りかけた。

・・・・私は大きく頷いたのだった。

 

(まあ、こんなにこそこそしているところは、後ろめたく思っている証拠かも。自分なりに、やりたいと思ってやっていることで、恥ずかしくはないのだ。もっと堂々とありたいものだ。)

 

自己責任

何年か前のことである。日本人のジャーナリストが海外でテロリストに拉致され、殺されるという事件が起こった。

私がそのころやっていたメルマガで「危険なところにあえて自分で行ったのだから、自己責任だよね。」と何気なく書いたところ、ある知り合いから猛烈な反発を受けた。

その人は、マスコミの人でも、人道主義の人でもなかった。

・・・・なんと、その人は、殺されたジャーナリストの親戚だったのだ。

 

まあ、そんな人もいることに思い至らなかった私も迂闊だったが、自己責任に対する考えは今でも変わっていない。

やっぱり、自己責任というのは、当たり前だと思うのだ。

日本政府は危険な国や地域には絶対行かないよう勧告している。

それを聞かずに破って行ったからには、それなりの覚悟があってのことだろう。

だから、行った方が悪いのは当然。

もっとも、第三国から危険地帯に入国すれば止められないし、罰も受けないかもしれないが。

 

そうした行為が、ジャーナリスズム精神のもとに許されるとしたら、どうなのだろう。

マスメディアはそのような行為は勇敢だとして称えることも多い。だが、メディアは、そうしたフリージャーナリストから情報をもらえるから、彼らを無下には扱えないだけかもしれない。

(なんか、ベンチャーが開発した新薬を買い受けて販売している製薬企業に似ているような気がする。リスクはベンチャーにまかせて、利益が出そうになったら救い上げるというやり方だ。)

 

今回は、他の国が膨大な身代金を支払ったため、安田さんは無事に解放された。

日本政府は、交渉に当たっては身代金は一切払わず、それ以外の方法で粘り強く交渉していくという道をとった。これが日本のやり方のようだ。

・・・・当然だろう。もし日本政府が多額の身代金を払うことが知れ渡ったら、今後、それ目当てで日本人を狙った誘拐事件が多発することになる。

 

それでも、今回も日本政府は交渉の過程で、連絡等で結構な出費をしたと思う。担当の人たちも大わらわだっただろう。

そうした労力や費用は、いったいだれが負担することになるのか・・・・国民である。

確かに安田順平さんの体験

話は、皆聞きたがるだろう。貴重な情報であるに違いない。

でも国民はそのような情報を得るために、お金を出すことに賛成するだろうか??

 

今後もジャーナリズム精神とやらで、危険地帯に飛び込むジャーナリストも出てくるだろう。むしろ今回のことでそうした人々が増えそうな予感もする。

じゃあ、どうすればよいだろうか。

 

安田さんは、今後そのことで講演したり、本を書いたりすれば、相当なお金が入ってくるにちがいない。

私としては、その収入の中から、少しでも、今回の救出にかかった費用を支払ってもらいたいと思うのだ。

それが(本人が意図するか否かにかかわらず)関係者に迷惑をかけたことへの償いではないか。

または、もしメディアが、ジャーナリスト精神を称賛する姿勢をとり続けるならば、

メディアがお金を出しあってそうした身代金をプールし、いざとなればその中から支払うようにしてもよいかも。

 

北朝鮮への拉致被害者のように、自らの意思に反して拉致された人たちとはわけが違う。そのようなかわいそうな人たちにはいくらでも支援の手を差しのべねばならない。

だが、今回のことは危険な登山や嵐の中での釣りと同じだ。あらかじめ死ぬ覚悟をしてやり始めたからには、自己責任というのは至極当然の話だと思うのだが。

 

まっ安田さんの話を聞けば、本人も自己責任は大いに自覚していたようである。さすが死の淵をかいくぐってきただけあって、しっかりした話し方だったことに感心した。

むしろ、しきりにジャーナリズム精神を持ち出し、擁護しようとしていたマスメディアや評論家のことが気になった。

あんたたち、ジャーナリズムってそんなに偉いのかと。

 

もちろん、現在の受験老人の無謀な挑戦・・・・これは「自己責任」である。

ダメだった時の覚悟は・・・・はなからないのだが。

なんでこんなに英会話ができないの??(その4)

こうして、海外には何年もいたにもかかわらず、結局私は英語は上達しなかった。

日本に戻って来て、英検準一級の試験を受けた。

すると、筆記試験はなんなく通ったが、面接試験で見事に落ちてしまった。案の定。

 

しかし、とにかく受からないと面目がたたない。面接の内容は4コマ漫画を見て、それを英語で説明するというものだった。

私はとにかくあらゆる英検の問題集を買い込んだり、4コマ漫画を見ては、その説明を英語でする練習を繰り返した。

そして、やっと2回目で面接に合格できた。まっ、お情けで通してもらえたのだろう。それにしても情けない。

 

今回、受験をしようということで、3月にセンター試験の英語を解いてみたが、筆記試験はまずまずできたと思ったものの、いくつか間違えていた。

しかし、リスニングは酷かった。5問くらい間違えたのである。

ああ、情けなや。これが大学留学をして、国際機関で働いた受験老人の実態である。

なんでこんなに英語を勉強しているのに、効率が悪いのだろう・・・・。

 

英会話が苦手なのには、思い当たることもある。要するに、日本語でも人の話をきちんと聞くのが苦手なのである。

それは小さい頃からの私の欠点だった。

授業中も先生の話を聞こうとせず、いつも自分がやりたいことをしていた。

だから、小学校の時にあった、国語のリスニングのテストでは、いつもひどい点を取った。

もしかしたら、人の話をじっくり聞く習慣がついている人は、英語も得意になるかもしれない。

女性に英語が得意な人が多いのはそのせいか。いや、最近は女性も自己主張が激しくなってきたから人の話を聞く習慣がつかなきくなっているか??(冗談です。)

 

そして、もうこの歳になると、英会話での成長はほとんど期待できないだろう。

欧米人に聞こえて日本人には聞こえない音があるという。

それは絶対音感のように、小さい時から身につけないといけないものなのだろう。それこそシャワーのように英語を聴くことによって。

(現に、生まれてすぐの小さい頃、海外で1年間過ごした上の子供はリスニング力はネイティブ並みだ。)

さらに、年をとると、モスキート音のように、若者に聞こえる音が聞こえなくなってくる。

・・・・絶望的だ。

 

まっ、こんなわけなので、今後ますますリスニング力が重視される大学入試には私は通用しなくなる。今回がラストチャンスだと考えるゆえんだ。

そんな受験老人は、英語だけは全く準備せずに試験に臨もうとしている・・・・

なんでこんなに英会話ができないの??(その3)

さて、前回述べたような事情で、私は2年半ほど、ドイツ語圏にある国際機関に勤めることになった。

だが、恥ずかしながら英会話能力は散々だった。

1対1なら、何とか自分の意思を伝えることができるようになった。そして相手の話も分からない場合に繰り返して聞いて何とか理解した。

ところが、3人以上の会話や、ディスカッションになると、全くついていけないのだ。

 

私の上司に当たる米国人も、私のことを快く思っていなかったかもしれない。

「いつも日本から来る奴は英語の経験がない者が多い。」と愚痴をこぼした。

ただ、私は英会話はできない分、英語の文献を読んだり英語でメールを打ったりするのはまずまずできた。だからいろいろなロジ作業はできた。

しかし、英会話ができないのは致命的だった。

 

だが、職場では英語、日常生活ではドイツ語を使わねばならない。

職場では、どちらも語学研修があった。

私は上司に、両方を学びたいと申し出たところ、上司は

「おおゥ、人間の脳は2つの言語を同時に学ぶようにはできていない。」と皮肉を言った。

 

それでも私は両方の語学研修に出席した。

すると、ドイツ語の方は、経験があるからか、どんどん進み、優秀者になった。

では、英語はというと・・・

実は、その英語研修は、英会話で英語の文法を教えてくれるものだった。

私にとっては教師の言っていることは分からなくても、文法は実に簡単だった。

だから、試験だけは実に良い点を出すことができた。

先生は、私の点数を見て非常に驚いた顔をした。普段は訥々とした会話しかできない者が、試験では最上位にいるのだ。

まっ受験老人の本領発揮というところだが、私はこのアンバランスが恥ずかしかった。

 

私の子どもたちは海外にいる間、アメリカンスクールに行くことになった。

半年もするとまあまあ会話ができるようになって、子供がその友達を連れてきた。

そこで、私は子供の友達に簡単な英語で挨拶した。するとその友達は変な顔をした。

後で子供に聞いたところ、「僕は君のお父さんの日本語が分からないから。」と言ったそうだ。ヒ—・・・・。

 

なんでこんなに英会話ができないの??(その2)

さて、留学から戻っても私は英語の勉強は続けた。

English Adventure等の教材、English JournalやCNNニュース等の雑誌、Magic Tolkers等の機器も買った。

真面目に聴き続けた。しかし・・・・私の英会話力は全くと言ってよいほど上達しなかった。

 

そして、まずいことにフランス語にも手を出してしまった。

勤め先で研修があったため、思わず参加したのだ。しかしリエゾン等があって、英語以上に困難さを感じた。

しかし、せっかくなので、こいつをなんとかモノにしたいと思った。そして、研修が終わった後もNHKラジオのフランス語講座を聴き続けた。

どうしてか分からないが、執着した。そして別の無料講座に通ったところ、とてもよくできると褒められた。

当たり前である。他の人たちは全くの初心者なのに、私はこれで2回目だから。

優越感に浸り、その勢いで、フランス語は検定で4級を取った。

ただそれはフランス語会話とは全く関係ないペーパーテストだった。

 

そうこうしているうちに、人事から、ドイツ語圏にある国際機関に勤務する話が来た。なんと外交官扱いだった。すげえ・・・・私は有頂天になった。

だが、ドイツ語圏・・・・

いったい、これまでフランス語を一生懸命やってきたのはなんだったのか・・・・

自分自身の段取りの悪さを痛感した。いつも私はこうして回り道をしている。今の勉強もそうだが・・・・。

 

そして私は今度は、おもむろにドイツ語の勉強を始めた。

そういえば大学院入試の際、ドイツ語単語をトレーニングペーパーで1,000語覚えたことを思いだした。

しかし、そのドイツ単語は全く忘れていた。

20分の1も頭に残っておらず、あとは皆、初めて見た単語のように感じた。

このため、NHKラジオ講座を中心にして、ドイツ語の勉強を始めた。

 

一方で、国際機関では英語が公用語だった。(公式には英仏中西露アラビア語だが職員は英語で会話をする。)

だから、しこたま英語を勉強しておかなければならない。

 

・・・・私はNOVAに通うことにした。まだ同社が潰れる前である。結構高い出費だったが、背に腹は代えられなかった。

NOVAには外人の先生と自由に話せるコーナーがあり、いくら長時間いても値段が同じだった。

このため有休をとって職場近くのNOVAに行き、半日ほども居座り続けた。

その結果、外人と話をすること自体はまあまあ慣れた。

特に、自己紹介だけは上達した。同じことを何十回も繰り返しているから。

 

だが、そうして務めた国際機関では、散々だった。(以下、次回に続く。)

 

なんでこんなに英会話ができないの??(その1)

これまで入試英語のことは全く書いていなかったが、実は全く準備していない。

それで大丈夫か、自信はない。

 

では私は英語が得意なのかというと、外面的には、得意なように見える。

それは、昔の時代の英語の勉強法をしてきたおかげだ。つまり、文法と単語である。

単語だけは昔から、めちゃくちゃ覚えた。英語に関しては単語力と文法力だけで大学に受かったといっても過言ではない。

一方、昔から「英会話」つまりリスニングとスピーキングは大の苦手である。

そもそも発音がなっていない。日本語英語である。

高校時代の英語の先生が、私のいないところで、「○○(私の名前)の発音はからきしダメだ。いくら試験の点がよくてもあれじゃ通用しない。」とけなしていたと聞いた。

だが、それは真実だった。まるっきり実際の会話がダメなのである。

 

私はかつて、仕事場から米国の大学に1年間留学させてもらったことがある。

留学するためにはTOEFLの試験でまあまあよい成績をとる必要があった。

しかし、私はこのTOEFLで最初、すごく悪い成績を取った。

特にリスニング部分は酷かった。他の受験生の平均と比べ、ずいぶん低かった。

このためしゃかりきになって勉強した。NHKラジオの英会話を全て録音して毎日聞いた。

英語の教材を何個も買って片っ端からやった。

 

そのうち、TOEFLの成績は良くなった。そして、留学できる点は何とかクリアできた。

だが、それは英会話力が付いたためではなかった。何と、文法部分が満点だったのだ。

まっ、私らしいと言えばらしい。だが私の英会話力はあいかわらず低迷していたのだ。

 

私の英会話力はその後、留学しても全然上達しなかった。

外人の先生の言うことが全く分からない。授業中に当てられたことも分からない。

ドキドキしながら、おそらくこんなことを聞かれているのだろうと、自分の考えをどもりどもり答えると、先生や皆はいっせいに変な顔をした。

つまり、全く質問とは関係ない答えをしたのだろうと自覚した。その後は私は授業中に当てられなくなった。

 

授業で次回はテストする言われたが、何の勉強をすればよいか分からない。しかしとにかく一生懸命本を読んで大学に行った。

・・・・ところが、次の回に学校に行くと、誰もいなかった。つまり、テストと休みを聞き違えていたのである。

 

そのうち、授業に出るのがすごく憂鬱になった。授業に出ていても、まるで何も分からない。

そうなると、次に襲ってくるのは睡魔である。眠くて眠くて仕方なかった。

しかし、私以外の学生は皆真剣である。私だけが寝てしまうわけにはいかない。

とにかく起きていようと、ボールペンの先を太ももに突き刺した。何度も何度も・・・・

血だらけになった。出血多量で死ぬかと思った。でも、それでも英会話を上達させたかった。

 

以下、次回につづく。

 

9月の終わりの状況(その2)

さて、9月末の司法試験(予備試験)の勉強の状況である。

 

一言で言って、なかなかはかどっておらず、やったところの理解もしていなかった。

なんせ、言葉が覚えられないのである。

大学入試で古文単語をゴロで覚えるのとえらい違いである。(そちらの方はすいすい覚えることができていた。)

おそらく、司法試験そのものに対する拒否感のようなものがあるのだろう。

 

私は、思い出した。今から三十数年前、行政の試験を受けたことを。

あの時は、そもそもそんな試験があることを知らなかった。試験まであと一月ぐらいだと知り、急ごしらえで専門科目だけを勉強した。

一次試験では法律の試験は出たが、何も勉強していないので何もわからなかった。適当に記号を書いて回答欄を埋めた。法律はそもそも苦手だった。

一方、数的推理や専門科目はすごくよくできた。このため私の試験区分では2番で合格できた。

まあ、法律の勉強がこんなに大変だとは知らなかった。よくも何も勉強せずに受かったものだ。

あの頃は平和な時代だったのだろう。

 

だが、とにかく、その苦手な法律の勉強をやっているのだ。少しずつでもやっていくしかなかった。

9月の末の段階で、憲法が終わった。つまり、寺本と郷原の2冊の公務員試験用の参考書を読み終わったのである。刑法に続き、2科目目だった。

まあ、憲法は小中高を通じて「社会」で触れてきたし、新聞でも言及されるし仕事でも国会対応等で少しはなじみがある。

他の科目に比べ、まあまあ、頭には入っているような気がする。(もっとも、問題はまだまだ解けないだろう。)

 

4月からの6か月で、7科目中2科目か・・・・私は焦りを覚え始めた。

行政法は、寺本の行政法があと4分の1ほど残っている。民法は、寺本の民法Ⅱがまだ4分の1ほども進んでいない。民事訴訟法は取りかかったばかりである。

まだ商法と刑事訴訟法には手も付けていない。この調子では、先行きは真っ暗だ。

 

だが、まだ焦りは禁物だ。自分にそう言い聞かせた。

新しいことをあまりいろいろやりすぎると頭の中がパニックになる。(もう相当パニックになっているが。)

だから、とにかく今やっている科目がもう一つ終わるまで、新しい科目に手を出すのはやめにしよう。そう思った。

 

このため、憲法は引き続いて、とりあえずブックオフで買ってきた「公務員Vテキスト 憲法」の中にある問題を解くことにした。

次に終わりそうなのは・・・・と考えると、始めたばかりの民事訴訟法の本が薄いため、早く読み終えれそうなことに気付いた。

よしっこれを読み終わったら、今度こそ司法試験は全科目に取り掛かろう。そう思った。

 

だが、時間がない。どうやって作ればいいのだろう・・・・。