大村智先生のお話

昨日、ある学会で大村智先生の講演を聴いた。2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞された科学者だ。

2000年以降、日本でのノーベル賞が量産されたため、もう名前を憶えていない人も多いかもしれない。でもその成果が人々や社会のためになったというと、この人が随一ではないか。

以下、ちよっと長くなるが、私なりにまとめたお話のツボを紹介する。

 

 

大村先生の発見したイベルメクチン、そしてそれから派生したさまざまな化合物は、アフリカや中南米で流行っていたオンコセル化症やリンパ系フィラリア症に感染した人々を救った。聞き取りで正確でないかもしれないが、これらの病気には同地域で1億2000万の人々が感染していた。たとえばオンコセル化症の場合、虫が人の皮膚下に患部に住み着いて増殖すると、患部がぷっくりと腫れ上がる。体のどこでもお構いなしである。目の近くにできることが多く、そうなると失明する。実際にアフリカでは大勢の人々が失明していたのだ。(これはつらい。私も重篤な病気で失明しかかったことがあったが、その時は何もすることができず、家族や周りに迷惑をかけるばかりで、本当に死のうと思った。)

しかし、大村先生の治療薬が無償配布されたおかげで、これらの病気は急激に減った。オンコセル化症は2025年には撲滅、リンパ系フィラリア症は2030年には撲滅されるとされる。本当に、大村先生は多くの人々を救ったのだ。

 

大村先生は最初から秀才であったわけでもなく、このような方向が決まっていたわけでもない。

最初のスライドは、東京理科大修士課程の3年生のときの大村先生の研究している姿だった。修士課程は、普通2年間である。大村先生は一年間ダブっているのである。

でもそのおかげで、当時日本に初めて配置された高強度のNMR(核磁気共鳴装置)を使うことができた。当時新宿にあった東京工業試験所から、夜だけなら使わせてやると言われ、喜んで申し込んだのだ。

それにより、先生はタンパク質構造解析のエキスパートになった。そして、卒業8年後に北里研究所に雇ってもらえた。そこで次々と抗生物質等の構造決定をするのである。

 

だがある時、大村先生は思った。自分の隣の研究室では、土壌から抗生物質を探し出す研究をしている。何年もかけて新たな微生物や抗生物質を見つけようとしているが、見つかったのはいずれも既に発見されたものばかり。労多くして実りがない。

それに比べ、自分は構造解析をやりさえすれば結果が出る。これはフェアではない。それに、見つかったものを解析するだけでは発展性がない。それなら自分自身で新しい化合物を見つけられないか、と。

 

そうして大村先生は新たな抗生物質の探索に乗り出した。でもそのやり方は従来の手法とはちょっと違うものだった。

つまり、従来のやり方は、あるものに効き目のあるものをピンポイントで探していくやり方だった。これだと当たるか当たらぬか運に任すしかない。

だが新しいやり方では、微生物が作り出すもの全てを徹底的に調べていった。つまり、微生物は、長い地球の歴史で生き残り、保存され、進化も遂げてきたからには、その作り出す物質は、ほとんどは何かの目的を持っているにちがいない。だから、それを徹底的に調べてやろうと。

そうして、ついに先生はイベルメクチンを発見したのだ。

 

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大村先生の人生のモットーに、黄金のトライアングルというのがある。それは何かというと、中心には趣味、すなわち自分のやりたいことがあり、それが原動力となって、その周りに3つのことが同じ比重で配置されている。

1つ目は自身の健康管理であり、これは先生の中で習慣化されている。

2つ目は研究を推進することにより社会に貢献すること。そうして人材を育成する等、実践していく。

3つ目は一期一会の気持ちを持つこと。だからこそ人間関係を大切にし、恕すなわち相手に対し思いやりを持つことだと。

 

いやあ、立派だなあ、と思った。

中心に趣味が配置されているのは、私としてはすごく分かる。何事も、楽しくなければ続かないからだ。そして、この3つのことも、先生にとっては自ら楽しみ、情熱を傾けてやり遂げていこうということなのだろう。

 

大村先生の御講演はこの学会で最後だという話を聞いた。どうかいつまでも元気でいてもらいたい。