私が高齢で医学部を目指す理由(人の役に立ちたい、医師への不信感)
医師の志望理由は複雑で、一言では説明できない。
だが、私には人の役に立ちたいという気持ちがある。
もちろん、人の役に立つ職業はいろいろある。多かれ少なかれ、ほとんど全ての職業は人の役に立つものだろう。
しかし、医師ほど直接的に人の役に立ち、感謝され、尊敬される職業は他にない。
私はかつて、大震災直後の福島で働いたことがある。
震災で避難していた人が再び自宅に帰るのを世話した。
普段は他の行政機関の人たちや企業の人たちや大学の先生たちとしか接しておらず、一般の人々と接するのは恥ずかしながらそれが初めてだった。
しかし、そうして接していると、被災者の気持ちがよく分かった。
特に、そこに来ているお医者さんや看護師さんとも話ができた。
彼らが使命感を持って働き、現地ではなかなかなり手がいないことも知り、愕然とした。
行政で間接的に人の役に立つより、もっと直接的に役に立ちたい、その気持ちは強くなった。
特に、困っている人たちの役に立ちたいと思った。精神科医がいいと思った。
それなら私は患者によりそいながら考えていける。また、体力そのものはなくても精神力的な体力はある。
それから・・・・これはアンチテーゼかもしれないが、医師に対する不信感である。その不信感から自分自身で医師になるしかないと思ったのである。
私はかつて、失明しかけたことがある。
網膜に穴が開き、強く本格的な手術を勧められ、ある大学病院を紹介された。
だがその大学病院では、大丈夫大丈夫と言われ、レーザーで簡単に穴の周りを止めたただけだった。
しかし結局レーザーがはがれ、網膜剥離になった。
その大学病院では、また大丈夫大丈夫と言われ、本格的な手術を受けた。しかしそれが失敗した。
網膜が何十にも積み重なり、私の前に異様な世界が出現した。全てが曲がりくねって見えた。
私はいろいろな医療機関を探し回った。全国行脚した。だがどの医師も改善は難しいと言った。
私は絶望から、自殺も考えた。
最後に訪ねたある民間病院の医師は、その大学病院の不手際を激しく非難し、大学病院は研修を行うところだからと、さんざんこきおろした。
だが、その医師は網膜にわざと穴を開けて水を入れ、わざと網膜を剥離させてぎゅっと伸ばしてくれた。
その結果、私の眼は劇的に改善した。(まだ少し症状は残るが。)
こうしたことから、患者に真に信頼される、知識とノウハウを持った医師になりたいと思った。