大失態 その2

超遠心分離機の前でもじもじして何もしないでいた私を不審に思ったのだろう。N先生はつかつかと超遠心分離器に近づき、中をのぞき込んだ。

一瞬で事態を把握したN先生は、鬼のような形相に変わった。

そして言った。

「○○君、君が遠心分離機を壊したこと、これは信じられないミスであり、もっと気を付けて実験をしなければならない。

だが、それよりもっと悪いことがある。それは君が、この装置を壊したことを隠して、自分で直そうとしていたことだ。

どうせ隠してもばれてしまう。そしてそれを繕うために、もっともっと多くの嘘をつかないとならない。それは研究者が絶対やってはいけないことだ。」

 

私はうつむき、何も言えなかった。ああ、自分は研究者として失格だったと。

 

実はそれから何十年か経った後、ある学会でN先生の講演会があった。

その学会にたまたま出席していた私は、久々にN先生の話を聞きに行こうかと思いつつ、その時のトラウマがありなかなか足が向かなかった。

しかし、勇気を出して講演の部屋に入ったところ、そこは満員で立ち見が出るほどだった。既に話は終盤に入っていた。

N先生はずいぶんお年を召されていたが、しかし、会場によく通る声で話をされていた。

 

「・・・・最近、研究者もゆとりを持ち、積極的に休むことを奨励するような風潮がある。

だが私の経験では、毎日長い時間研究し、いつも研究のことばかり考えているようでなければ、よい研究はできない。

自分自身、睡眠時間を削りたくなければ、趣味をやめればい、と言われたこともある。とにかく研究に一生懸命になることだ。

一生懸命やっていないと、大切なことを見過ごしてしまう。

いつも研究のことを考えているからこそ、ちょっとした実験の上での変化を見過ごさないで大きな発見につなげられる。

そのためには、研究が好きであるということだ。

ノーベル賞を目指すという野心を持つのもいい。だがそれだけでは続かない。まず、研究が好きでなければならない。

好きであれば、頑張ることができる。一生懸命になれる。

そして、好きであるからこそ、自分勝手に理論をでっち上げ、それに合わない実験データは無視し、無理やりそれに実験結果を当てはめようとするのではなく、

観察から得られたことに素直に驚き、実験結果から素直に推測していくことができる。

そして、そのような資質を持ったものがすぐれた研究者になれる。

そういう人は、もともと学生時代から秀でている。何も指導しないでも自分でやっていける。

しかし、それでも、自分の指導者やまわりの人たち、いろいろな研究者とのネットワークを持つことは大切だ。

周りの人たちが自分の研究にもいろいろなヒントや機会を与えてくれ、道を開いてくれる。・・・・」

 

私はN先生のその言葉を聞き、ああ、やはり私は研究者になれなかったのだろうなあと思った。

私は研究が本質的に好きではなかったのである。

あまりに野心に燃え、大発見による栄誉や称賛を求めすぎていた。その時から何十年か経った後に、改めて思い知らされたのである。

 

さて、この遠心分離機の破壊という大失態で精神的にも大きなダメージを受けた私だったが、修士二年の夏も終わりつつあり、就職するか研究を続けるか決めなければならなかった。