院試には受かったものの・・・・

院試では、一年間の勉強の成果をすべて出した。

ドイツ語は結構できた。

なんせ、そのために「ドイツ語単語トレーニングペーパー」を買い込んで、1000語を完璧に覚えた。

そして問題の試験では、ミカエリスメンテン式の応用等、面白いようにできた。

問題の内容はほとんど忘れたが、確かアセチルCoAの構造式を書けという問題が出されたと思う。

複雑だが、私は完璧に書けた。なんせ、それよりはるかに難しいビタミンE等の構造式まで覚えていたので。

その後面接があった。しかしそれは他流試合もいいところだった。

東大の進振りではほぼ最高の偏差値の学科である。大学院への進学もほぼ100%、その科からの進学だった。

私は心構えなどを聞かれた。そこで、私は真核生物や多細胞生物の老化の研究をしたいと答えたと思う。

しかし、あまりに自己主張をしすぎて、審査委員の先生たちに反感を持たれたような気がする。

「アセチルCoAの構造式は書けましたか。」という質問をする先生がおり、私が書けたと答えると、ああ道理でねと、皆顔を見合わせてにやにやした。

いやな感じだった。私は、そんな記憶力だけで試験を乗り切ったと思われたくはなかった。

 

数日後、私の学科の先生から呼び出された。その先生は私の学科と、私が院試を受けた学科を兼任していた。

「○○君、君は合格だ。それを伝えておく。」

私は安堵した。もし万一落ちいてたらどうしようかと思った。しかしその続きがいけなかった。

「君の面接はとても評判が悪かった。あまりに自分の考えに凝り固まり、研究者として本当にやっていけるのかという疑問を持つ先生方も多かった。落とそうという意見まで出たが、筆記試験の成績がトップクラスだったので、合格させた。」

 

ちぇっ、またそれか・・・・。

私は中学校や高校の時を思い出した。

試験だけは滅法できる。だが生活習慣やそれ以外が全然ダメ。

それは私という人間についたレッテルだった。

 

とにかく、せっかく通ったのだから、全力で頑張れと言われた。なんせ、自分たちの学科からあちらの学科の大学院に進学するのは君が初めてだからと。

まあ先生の気持ちは分かったが、実は私は次の段階として、ひそかに東大理Ⅲ受験をたくらんでいたのだ。