今が青春?!
そうして、私は勉強をとりあえず、軌道に乗せた。
4月末になると、寺本の3冊の参考書が届き(これだけはブックオフで見つからなかったため楽天で注文した)、司法試験の勉強体制も整った。
司法試験は、7科目。このためまず4科目を仕上げようと考え、寺本の3冊(憲法、民法、行政法)に加えて、刑法を始めることにした。
ブックオフで簡単なものはないかと探したところ、「郷原豊茂の刑法まるごと講義」というのが見つかった。200円で買えた。
実況中継形式だとまあ眠くならずに読める。しかも著者は私と同じ歳だ。共感が持てる。
1日8科目の勉強。しかも仕事をしながら・・・・修行僧のような生活である。
しかし、そうでもない。やろうと思えばなんとなくできてしまうことが分かった。
朝、5時半起床。法律を2科目やる。それぞれ30分ずつ。(だいたい4ページ分読む。章の区切りには寺本のビデオ講座にアクセス。)
それから、ヨガをやり、朝食を食べ、ネットを見てから出かける。
行き。
数学のチャートをやりながら駅まで歩く。(またはバスを使い、途中から歩く。)
電車の中では新聞をたっぷり時間をかけて読むとともに、小説を読む。
(仕事)
ランチ。食べながら小説を読む。ランチの往復でチャートをやる。
(仕事)
帰り。
電車の中では大宮の化学を30分(眺めるだけ)、村瀬の地理を30分(眺めるだけ)。
数学のチャートをやりながら駅から家まで歩く。(またはバスを使い、途中から歩く。)
帰宅後、風呂と食事。(ドラマかクイズを見る。)
休憩を入れながら、以下の3科目をやる。
法律を2科目をそれぞれ30分ずつやる。(だいたい4ページ分読む。章の区切りには寺本のビデオ講座にアクセス。)
漆原の物理を30分やる。(眺めるだけ。)
ネットをやりつつ、12時には就寝。
これが、次第にこなせだした。大変だとは思わなくなった。
なぜなら、やって楽しいからだ。
勉強内容もそうだが、もっと楽しいのは、自分が、限界に挑戦しようとしている、そのシチュエーションが楽しいのだ。
こんな気持ちになったのは久しぶりだ。思えば、自分は長い間に、この「挑戦する」という気持ちを忘れかけていた。
退職して、年金をもらって、1日の生活費をいくらにして・・・・そんなことばかり考えていた。
医学部にも司法試験にも、受かる可能性は少ない。
また、たとえ受かったとして、年取って医師になっても弁護士になって、やっていけるわけはない。
だが、今、とにかくチャレンジしていること自体に、やりがいと喜びを感じているのだ。私にとっての「青春」なのかもしれない。
ただしそれは必ず、「人のためになる」ということが前提ではあるが・・・・。
大坂なおみ選手に思う
今回は受験勉強から離れて、ちょっと一服。
最近、大坂なおみ選手を激しく見直している。全米オープンに優勝したからではない。彼女の姿勢にだ。
登場したばかりの頃は、けだるそうな姿、途中で泣きだす姿、インタビューへの回答があまり要領を得ない姿を見て、
私としては、ああ、この娘は、あまりきちんとしていない、わがままな娘さんなんだろうなあと思っていた。
だが、私のそうした考えは180度、転換した。
決勝では、絶対女王のセリーナ・ウィリアムズ選手への審判を巡り、同選手が審判にクレームを付け、会場全体も同調して大坂選手の敵に回った。
しかし、その中で彼女は全くペースを乱されもせず、淡々と戦った。
そして、優勝インタビューでは「勝ってごめんなさい。」
さらに、あこがれのウィリアムズ選手と戦えて、うれしいと答えた。
・・・・何とけなげな態度か。
これでは、ウィリアムズ選手も矛先を収めざるをえない。最後は会場に向かって、大坂選手にブーイングをしないように自ら呼びかけてくれた。
おそらく、二人にとっては、最後はとてもよい終わり方で、今後、ライバルであるとともによき友になれるのではと確信した。
私がもっと大坂選手に感心したのは、彼女が特別仕様ではなく、市販のラケットや靴を使っているということ。
一流の道具を調達する金がなかったのかもしれないが、それにもかかわらず、世界の頂点にまで駆け上がったのである。
・・・・何事も、少し上達してくると、やたら環境を整えたがるのが人間だ。
高い道具を買いそろえ、一流のコーチ陣をつける。それでもうまくいかない時は、環境のせいにする。
(そういう意味で、私としては、今回のウィリアムス選手や、かつて錦織選手が腹を立ててラケットをたたき折ったのは感心しない。大坂選手もラケットを放り投げたこともあった。道具は決して粗末にすべきでない。)
最後は、道具の問題ではない。自分自身なのだ。弘法、筆を選ばず。
・・・・まっこんなことを言うのも、カネのない受験老人としては、全くカネをかけずに受験を乗り切ろうと考えているからである。
まず、塾や予備校は決して利用しない。
そして参考書の類はほとんどをブックオフで、できれば100円か200円で買いそろえる。
司法試験の授業は、インターネットで無料講座を探して聴く。
もし本当にそれでうまくいったら、大々的に宣伝できる。
医学部でも、司法試験でも、裕福でない人でもカネをかけずに、がんばれば行ける。
その見本になりたいのである。
まっ私自身、1回戦負けとなる可能性はかぎりなく高いが・・・・。
大坂選手には、これから一斉にメディアに注目され、ちやほやされると思う。そうして対応に追われ、努力を忘れ、つぶれて行った選手は多い。
でも、彼女にはそれには絶対に染まらず、初心を忘れず、素朴な気持ちを持ち続けてもらいたい。 そうすれば今後10年、世界のトップに君臨できる。
まだ20だ。老人にはうらやましい・・・・。
電車内恥かき勉強法?!
1日4時間の勉強・・・・それをいかに確保するか。
前回述べたように、自宅と駅の間等の二宮金次郎式勉強法で数学の勉強時間を1時間近く、確保できた。
少なくとも数学はこれで安心だった。
しかしそれ以外の勉強科目がまだ7科目ある。
私が次に目を付けたのは、電車内の時間だった。
もよりの電車の駅から職場まで、片道1時間、往復で2時間。これをうまく利用しない手はない。
もし完璧に利用できれば、先の1時間と合わせて、合計3時間を確保できる。
ただ・・・・首都圏の電車はたいてい混雑している。特に私の通う路線は混雑が激しい。全く勉強できるような環境ではない。
スマホならともかく(私は持っていないが)、ぎゅうぎゅう詰めの中で参考書を広げていると顰蹙だろう。
そして、私は考えた。これまでは仕事に遅れそうになるため、急行に乗り換えていた。このため混雑を余儀なくされた。
家をさらに早く出て、各駅停車でゆっくり来よう、と。
そうして、私の通勤時間はずいぶん早まった。鈍行だと余計に時間がかかるが、その分、余計に勉強できる。
カバンを棚の上に挙げ、両手が自由になると読書に集中できた。座れることも多くなった。
(ただ座ってしまうと、ついつい寝入っしまう場合もあるが。かえって立っていた方がいい??)
そして私がその中でやったのは、大宮の化学と村瀬の地理。この2つを行きと帰りで読んだのだ。
化学は計算問題もふんだんに出てくる(特に理論編)。だがとにかく、最初は理解半分で、頭の中だけで進めていくことを考えた。
とにかく強制的に、1日1章分を読むようにした。全く昔の知識は残っていないと思ったが、読んでいるうちに少しづつ思い出してきた。
村瀬はとにかく読み進めた。私にとっては知らないことが多かった。
安定陸塊とか古期造山帯とか、気候の区分とか、ごちゃごちゃして、複雑だった。頭がぼうっとなった。
しかし、読み進めるにつれ、痒い所に手が届くような書かれ方がしてあるのに気付き、ああ、立派な参考書なんだなあと、当初の自分の不明を恥じた。
私がやる気を出すためにとった方法・・・・
本は買った時のカバーのままで読む。すると周りの人たちは、なんでこんな初老のオヤジが高校の参考書を読んでいるのだと不審がる。
まあそれだけだと高校の先生か塾の先生くらいに間違われるかもしれないが、しらっと膝の上に化学と地理と科目を変える。(場合によりチャート式数学も。)
そうすると、こいついったい何をやってんだ、と、いかにも不審の眼で見られるのだ。これがいい。特に高校生らがいるともっといい。
皆の注目を浴びていると思えば、眠くならずに勉強がはかどるのだ。
・・・・これを「恥かき勉強法」と呼ぶことにした。
まっ実際には誰も私のことなど見ていないのだが・・・・要は、そういう自意識過剰を自ら思い描くことで勉強促進を図ったのだ。
二宮金次郎式勉強法?!
とにかく、どうしても勉強時間を確保しなければならない。そのために私が編み出した方法・・・・
それは二宮金次郎式勉強法、つまり、歩きながら勉強するという方法である。
言っておくが、これは現代においては不謹慎なやり方である。
金次郎の頃のようにのどかな時代・場所ならともかく、歩きスマホの害が声高に叫ばれている現代、しかも都会でやっていいわけがない。
人にぶつかり、危険である。現に薪をかつぎながら読書している銅像が取っ払われた学校もある。
私はしかし、この方法こそ頭の活性化のために必要だと思うのだ。あまり他人にはお勧めできないが。
この方法だと、決して眠ってしはまうことはない。人は歩きながらは眠れないものだ。
そしてもうひとつ。コースを決めさえすれば、それに応じた勉強時間を確保することができる。
まず、通勤時、電車の駅までのバスをやめて歩いていくことを試みてみた。
当初、あまりよい道が見つからなかったが、中の道で静かな道を発見した。よし、これはいけるっ!
ただ、電車の駅まで30分以上かかった。通勤時間が20分ほど延びた。途中までバスに乗って歩きと組み合わせる等の工夫もできるようになった。
こりゃ、健康にもいいし、勉強もできる。私にとっては一石二鳥だった。
できるだけ歩いて通勤することにした。もちろん雨の日や疲れている時、急いでいる時は無理だったが。
おそらく、この方法が一番向いているのは英単語や古文単語の暗記だろう。ちら見すればよいだけだ。
だが、現在始めているのは大学受験の4科目(数学、物理、化学、地理)、それから司法試験の4科目である。何が歩き勉強に向いているか。
いろいろ試行錯誤したが、やはり、自分の全く知らない司法試験の科目と、地理は無理なことが分かった。
また、物理や化学は答えをじっくり見ながら突き合わせなければならないので難しい。
消去法でいくと、数学が残った。
私は、しめたっと思った。
いくつかある受験科目の中で、数学が一番の難物だったのだ。理由は簡単。問題の数が多いからだ。
数ⅠA、数ⅡB、数Ⅲを合わせて例題が1000問以上ある。これを地道にやっていくには根気が続かない。
歩く時間だけでこれを終わらせられればよい。
夜、歩きながら勉強するために、懐中電灯を100円ショップで買った。そして灯をともしつつ問題を読み、答えを見た。
ぴかりと光らせながら歩いている私を見て、前から歩いてくる人々には歩きスマホかと思われたが、それが懐中電灯だと知った人にはギョッとされた。
それから、私は昼の時間を活用した。食事を簡単に済ませた後、散歩に行くのである。
その時間、約30分。又は歩いて食べに行く間に数学のチャートを見ながら歩くのである。
まっ人に知られるとどう思われるか分からないので、表紙にカバーはかけたが。
・・・・結局、この二宮金次郎式勉強法により、数学だけはどんどん進んだ。
ある研修
この日記では、私の4月からの勉強の状況を綴っているが、今回は、最近のことを書かせてもらう。いつもより長くて読みにくいが、御容赦願いたい。
先日、職場である研修があった。それはコミュニケーション研修。
仕事相手や職場内での意思疎通をよくしようということで、外部講師を呼んで行われた。
私は普段、職場では閉鎖的な部屋にひきこもっており、部屋を訪れる人たちと話すほか、積極的な人との対話がない。いわば独居老人のようなもの。
だから、恐ろしくコミュニケーション力が低い。何か、改善のためのヒントでももらえればと、参加した。
会場は若い人だらけ。確実に、私が一番の年長だっただろう。しまったあ、場違いだったか。
だが始まってみると、和気あいあいとした雰囲気で、自然と溶け込めた。
方式としては、まず講師にコミュニケーションのコツを聞いた後、実践練習を行う。
すなわち、誰かと組になり、与えられたテーマで会話の練習をし、スキルアップを図る、というもの。
私の相手は入りたての新人君。一方の私は退職が近い。部署が違うので互いに知らないどうし。
ここは一丁、先輩らしく範を示さねば、と気軽に考えたのが間違いの元だった。
いきなり私が思い知らされたこと・・・・自分自身、驚くほど、何もものを考えていなかった!!
「最近、嬉しかったことを話せ」とか「最近、ちょっと気になっていることを話せ」とか、他愛ない命題を与えられたのだが、すぐに答えが出てこない!!
私の相手は、先輩に食事に連れて行ってもらってうれしかった、とか、昔勉強を教えていた高校生が無事に大学に受かったか気になる、とか、次々に出てくる。
だが私たるや、えっ、嬉しいこと??、気になること??・・・・いくら頭を絞っても、容易に浮かんでこない。
ようやく何かを捻り出した。だがそれはどう考えても、本当に嬉しいことでも、気になることでもない。
結局、自分を偽りつつ無理やり話をしようとする・・・・結果、私の話は実につまらないものになってしまった。
・・・・私の日常生活はいつの間にか、すっかりルーティン化し、新鮮な驚きを感じることがなくなっていたのだ。
自分というものをじっくり見つめたり振り返ったりする機会が失われている。こりゃまずい。
この「受検老人日記」は、そのためのよい訓練になっているとも思うが、それじゃダメなのか???
ただ、私がこの研修で学んだ、今後いちばん習得したいと思った技術・・・・それは「相手を認める姿勢」。
人は、相手との熱い討論や、ちょっと意地悪な質問に対しては、ついついムキになり、明確に直接的・紋切り型で説明や反論をしようとする。
(先日の体操界でのトラブル時のインタビューで、「全部ウソだ」などと言ったのはその典型??)
すると、対話がざらざらとして、殺伐たるものになってしまう。
だから一歩引いて、「○○さん(相手の名前を言う)、貴方の言いたいことは○○ですね。ようく分かります。これに対しては、○○・・・・」
つまり、まず相手の言うことを認めてやろうという気持ちが大切だということ。
たまに職場でも、これができない人を見かける。
タチが悪いのは、まず相手を否定してみせること。自分は偉いんだという臭いをぷんぷんさせ、相手の上に立とうとすること。
これでは相手の恨みを買いこそすれ、納得・感謝されないだろう。(最近はそんな人はあまり見かけなくなったが。)
逆に、相手のことをまず認める。
相手が何を言いたいか、まずそれをしっかり把握し、自分はあなたが何を言いたいか、ようく分かっていますよ、ということを相手にわからせる。
それこそが必要。つまり、相手の一番の望みは、自分の言いたいことを分かってもらいたい、という場合がほとんどだから。(最終的に肯定するか否定するかに関係なく。)
・・・・
また大きな地震が発生した。台風の被害も含め、被災者たちのことを思うと不憫でならない。
ただ人間は、自分自身がその立場に立たないと真に被災者の気持ちは分からないものである。
鎌田實博士の「がんばれと言うな。患者は既にがんばっている。」というのは、東日本大震災以来、被災者に接する心得として使われてきた。
じゃあどうするかっというと、たとえば看護師は患者の手をそっと握ってやればいいとのこと。
貴方のことはく分かっているよ、と寄り添う気持ちを持つこと。
今回の研修での教訓は、そのことを改めて分からせてくれたことだと勝手に私は解釈している。
万万が一、医学部に合格したなら、絶対に、患者の気持ちに寄り添う医師になりたい。
働ける期間は短いと思うが、私を選んでくれた患者さんには、この先生はおじいちゃんだけれど、自分のことをよく分かってくれる、と思ってもらうようになりたい。
まあ、それも自分勝手な理屈であり、妄想ににすぎない。今の私は明らかに自分自身のために努力している。何と我儘なことか。
本当は、自分のためになることが自分の好きなことでもあり、しかも他人のためにもなる、そういうことができればほかに望みは何もない。
なかなかはかどらないっ!
とにかく私の考えは、勉強時間さえきちんと確保すれば、何とかなるというものだ。
そして、それを継続すること。1日1時間でも、30分でも。
しかし、この「確保する」というのが意外と難物なのである。
その第1の敵は「疲れ」である。
年をとったせいか、とみに集中力が続かなくなってきた。同じことを1時間もやろうものなら、へとへとに疲れる。
だから、長い休憩が必要になる。
たぶん私は工場に働きに行き、同じ作業をずっと続けさせられたら、すぐに疲れて放り出してしまい、あっという間にクビになるだろう。
自分で能動的にやっている時だけでない。シンポジウムで人の話を聞くのもダメだ。15分を過ぎたあたりから必ずウトウトしてしまう。
まるで話が頭に入ってこなくなる。(だからこそ、仕事で時たま頼まれて講演等するときはできるだけ面白いトピックを盛り込むようにするのだが。)
この疲れを克服し、何とか続くようにしなければならない。とにかく1日4時間以上。
それから第2の敵。それは「ネットサーフィン」。
人間は堕落する生き物である。
パソコンやスマホがあると、ついついネットサーフィンをしてしまう。
見なくてもいい情報を見ようとする。
昔はそれがテレビだったが、今やスマホがなければ落ち着かなくなる人たちが多い。
私は幸いにカネがなくてスマホは持っていないが、パソコンは職場でも家でもいつも開いている。
特に家にいると、ついついネットサーフィンに走ってしまうのだ。
もう少し、もう少しと言っている間に、あっという間に時間が経ってしまう。
そんなこんなで、実はあまり最初のうちははかどらなかった。
ただ、司法試験は、相変わらず映像授業の入門編(主に原孝志の各年度毎のもの)を見るだけでよかったので、それだけはとりあえず進んだ。
(といっても、まだ入り口に立っていなかったが。)
一方、大学の勉強の方はねあまりはかどらなかった。
とにかくこの章の終わりまでやってしまう、と決意する。しかし、途中からぼうっとしてしまい、進まなくなる。
それでも我慢して何とかやり続ける。すると理解力が極端に落ちる。
それでどっと疲れ、1科目終わった後にパソコンでネットサーフィンをする。
すると興に乗って1時間、2時間があっという間に経ってしまうのだ。
当初、4科目やるつもりが、せいぜい3科目しかできなかった。
こりゃ、何とかしなければ。
いよいよ勉強を始める
さて、4月に入り、計画を立てた後は、私はとにかくマイペースで、教材に取り組むことにした。
まず司法試験について。
まだ寺本に取り掛かる準備ができないうちは、家に戻ってから無料の映像の入門講義を聴くことを繰り返した。
とにかく、司法試験は私にとって、得体のしれない怪物のように思えた。だから、まず、イメージを掴み、慣れることが必要だと思ったのである。
しかし、相変わらず、入門講義ですら、どの科目も結構難しい。
その段階で私が思ったこと・・・・
1年間勉強して、寺本やいろいろな参考書で知識をある程度積み上げていけば、予備試験のうち短答式試験には何とか受かることができるかもしれない。
だが、論文式試験に受かるためには、何か特別の勉強が必要だと。
予備校に行っている人たちは、そうした論文試験を1つ1つ、丁寧にわかりやすく教えてもらえる。また受験生どうし議論しあうこともできる。
だが私にはそのような機会が決定的に不足している・・・・。
まあ、だからこそ、寺本は(又は寺本がない科目では何か基本的な参考書を)、少しでも早めに終わらせる必要があるだろう。
それが終わりさえしたら、あとは過去問を、徹底的に勉強していくしかない。とにかく実際の問題で鍛えていくこと。
これでよいかどうか分からないが、とにかくやるしかない。
一方、4月に入ってすぐに始めた医学部入試の勉強も、一山も二山も越える必要があった。
数学(数ⅠA)、物理(力学)、化学(理論)、地理(系統地理)をやりはじめた。
といっても、決めた参考書をそれぞれ30分間ずつ読むだけである。いずれも私の子供たちが推薦してくれた、分かりやすいと評判の参考書群である。
数ⅠAは、結構できた。因数分解等、ちょっと考えれば昔のことが思い出せた。まずまず
物理や化学は、子供たちが勧めるだけあって、確かに分かりやすかった。
こんな参考書が私の高校生時代にあれば、あんなに大学受験で苦労することはなかったのに、と思った。
だが、難物だったのは地理。村瀬は、確かにクイズ番組では分かりやすくいろいろな知識を披露している。
だがこの参考書はどうか。分かりにくいのではないか。そう思った。
いつも読む都度、眠くなるのである。1日、数ページしか進まなかった。まあ、地理は初めてだから仕方ないのだろうが。
まっ、こんなわけで、ぶつくさ文句を言いつつ、勉強を進めていくことにした。